かねさわ地名抄 第38回「並木」文・NPO法人横濱金澤シティガイド協会
昭和50年代、金沢地先の埋め立てとともに、新しい町が生まれました。並木はその代表的な町で、1丁目は1977(昭和52)年、2丁目は1980(昭和55)年、3丁目は1982(昭和57)年に誕生しました。
町名は、住宅の大通りに緑豊かな並木を計画していたことから「並木」と名付けられました。また漁師が、富岡八幡宮付近の松並木と円海山山頂との見通しにより漁場の位置測定(山立て)を行っており、現住宅地一円を「並木」と呼んでいたことにも由来しています。
漁場を「並木」と呼ぶようになったのには別のいわれがあるともいわれています。昔は富岡八幡宮の地先に砂嘴(さし)が突き出て、2キロほども松並木が続いていたようです。1311(応長元)年に大津波があり、長浜千軒といわれた漁村が海の底に沈み松並木も海没してしまいました。その付近は浅瀬となり、いろいろな魚が沢山とれる豊かな海になったそうです。そこでその漁場を「沢山の木々が沈んでいる海」ということで、「並木」と呼ぶようになったともいわれています。
このとき海に流された観音様は、その後海中から出現し「長浜観音」として称名寺に安置されています。海に沈んだ松の根元は、金沢地先埋立作業中にたくさん発見されました。
東側には金沢シーサイドラインに沿って金沢緑地があり、町内は金沢シーサイドタウン等の団地により区の代表的な町並となっています。団地内に多くの公園がありますが、「サルダの鼻」「イド藻」「イガイ根」「のりべか」など漁師の言葉が公園名となっています。
|
|
|
|
|
|
|
<PR>