半世紀にわたり横浜高校野球部を率い、昨夏勇退した渡辺元智前監督(71)。同じ7月28日、グラウンドを去った人がいる。40年間、同部のバス運転手を務めた近藤隆哉さん(74)だ。
「実は前年にバスの鍵を返していた」。選手の命を預かる仕事ゆえ、年齢が気がかりだった。だが、翌年5月に渡辺前監督が引退を表明。最後をともにすべく「夏まで手伝わせてほしい」と舞い戻った。
春、夏、秋――神奈川県大会や関東大会に向かう選手を乗せてバスを走らせた。「乗る時はお願いします、降りる時はありがとうございましたと、挨拶してくれる」と嬉しそうに笑う。勝った日も負けた日も誰ひとり、欠かすことはなかった。
だがあと一歩で甲子園を逃した、昨夏の決勝後だけは違った。「長い間ご苦労さまでした」。悔しさのなか、そう言い降りていく。「涙がでてきちゃったよ」。渡辺前監督をはじめ、指導陣が築きあげた賜物だと繰り返す。「今も元気な声が耳から離れない」
「好き」が原動力
「家から顔を出せば、横浜高校の教室が見えた」と懐古する。40年前の当時、校舎脇にあったグラウンドで練習試合もよく見た。「野球は好きより大好き」。タクシー運転手として働く中、同校から声がかかった。「運転手ならどこに行くのも選手と一緒。野球も運転も好きだからできたこと」。仕事の傍らで続けてきた。
バスの中は選手の心模様そのものだ。「勝った日はいつも学校までにぎやか。負ければまず泣いている」。責任を感じて落ち込む投手や、必死のプレーで負傷した選手――「マッサージしてもらえ」「しっかりケアしろよ」と、言葉少なだが声をかけてきた。愛甲猛選手らが活躍した時代は月に数回、選手を食事につれていくことも。「山梨県の坂道でエンストして、選手皆で押した」と懐かしむ。「そのまま向こうまで走っていけと言ったなぁ」。優しさと厳しさで向き合ってきた。
この先も野球部と
無事故無違反、40年はその一言に尽きる。「遠征の前日は仕事を休み、夜8時に寝ていた」。渡辺前監督は「本当の裏方で助けてくれた人はそう多くない。感謝、感謝」と言葉を尽くす。同乗しない分、バス移動の時間は選手を託してきた。熱くなるせいか「今日はすっ飛ばすなぁという日もあった」と冗談をとばす。「でも困るよと、遠慮なく言える仲」。遠征先の宿舎では枕を並べることも。40年の時をともに歩み、関係が築かれてきた。「夜遅くまで小倉(清一郎)さんと二人、選手を思って話す姿も見てきた」と近藤さん。野球部の魅力は語りつくせない。
甲子園出場が決まれば「行かないことはなかった」。プロの夢を掴んだ選手を球場やキャンプ地に駆け付け応援するなど、その後の活躍も追いかける。最近は、卒業生の息子を現役選手として乗せることも。「2代で乗せてもらいます、と来てくれたOBもいた」
最近生まれたひ孫は男の子。「15年後によろしく」と平田徹現監督に願い出たばかり。「3月からは練習試合が始まるね」。バスを降りたこれからも、野球部をそばで見つめる。
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