金沢区制70周年記念連載 「地元の歴史 振り返る」第13回 横浜唯一の大名武州金沢藩 文/NPO法人横濱金澤シティガイド協会本コラムでは2018年に金沢区が区制70周年を迎えるにあたり、シティガイド協会の協力を得て、地元の歴史を振り返る
享保七年(一七二二)、下野国皆川(現在の栃木市皆川城内町)に本拠を置く皆川藩(藩主/米倉丹後守)が、武蔵国久良岐郡六浦郷に陣屋を移し金沢藩が成立した。米倉氏は武田信玄旗下の武将であったが武田家滅亡後、徳川家康に旗本として仕えた。宝永二年(一七〇五)、米倉家三代昌尹(まさただ)は綱吉から一万五千石を拝領し大名として下野国都賀郡皆川村に陣屋を設置した(皆川藩の成立)。
金沢藩の領地は石高一万二千石(昌伊は弟、忠直に三千石分知)、領地は方々に分散し陣屋のある久良岐郡の領地はわずか全体の9・5%に過ぎなかった。金沢藩が成立した理由については諸説ある。定説は無いが米倉丹後守の幕府における役割は代々日光祭礼奉行や大阪加番、江戸城門警備などが多かった。維新戦争では明治政府側に通じ、東海道の警備や横須賀製鉄所の警備も命じられている。
金沢藩は藩主八代149年間、明治四年(一八七一)の廃藩置県まで存続した。最後の2年間は六浦藩と改称した。金沢藩の陣屋は京急八景駅南側谷戸(ガードの内側)で面積は五万八千二百平方メートル(東京ドーム面積の1・24倍)である。陣屋内の配置は寛政十年(一七九八)に作成された絵図を幕末の藩士、角田武夫氏が模写したものが残されている。
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