金沢区制70周年記念連載 「地元の歴史 振り返る」第15回 伊藤博文、野島に別邸を 文/NPO法人横濱金澤シティガイド協会本コラムでは2018年に金沢区が区制70周年を迎えるにあたり、シティガイド協会の協力を得て、地元の歴史を振り返る
伊藤公は天保12年(一八四一)長州藩の生まれ。幼名は利助。松下村塾で2歳年上の高杉晋作が論語の「子曰、君子博学於文…」を引いて、「博文にしろ」と勧めるので改名したという。号の春畝も晋作から。
明治18年(一八八五)内閣制度発足とともに初代内閣総理大臣に就任。明治33年(一九〇〇)まで4回総理をつとめた。昭和38年(一九六三)発行の千円札は総理最後の59歳時の肖像である。
伊藤公は金子堅太郎、井上毅、伊東巳代治らと明治22年(一八八九)発布の大日本帝国憲法づくりの中心であった。その憲法を「夏島憲法」というのは、伊藤公の夏島別荘と金沢洲崎の割烹旅館東屋を舞台に憲法草案審議が進められたからである。東屋跡にほど近い洲崎町の広場に「憲法草創の處」の記念碑が移建されている。発布まで機密を守り、政界の喧騒を避けて陸軍の砲台要地で無人島だった夏島と、横浜から蒸気船で一時間余りの金沢を選んだのであろう。
現在野島にある伊藤公別邸は夏島憲法づくりの建物ではなく、明治31年(一八九八)に金沢の風土や人情を好む伊藤公が建てたもの。昭和34年(一九五九)横浜市の所有となるが老朽化が著しく解体・復元し、平成21年(二〇〇九)に竣工した。
茅葺屋根の田舎家風意匠をもつ海浜別邸は、まさに伊藤公好みの建築である。
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1月1日