本牧 気まぐれ歴史散歩 【3】 『谷崎潤一郎が暮らした街』
明治末期、文壇デビューと同時に森鴎外や永井荷風から絶大な賞賛を受け、一躍著名となった文豪・谷崎潤一郎。『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』等々、数多の傑作を残しました。その谷崎ですが、大正時代の数年間を本牧や山手で過ごしました。これは浅野総一郎の子・浅野良三が横浜に設立した映画会社に谷崎を脚本顧問として招いたことがきっかけです。
谷崎は本牧宮原八八三番地、海辺の洋館に居を構えました。自身の著書にも、自宅は他の家よりも海に突き出たコンクリートの崖上で、家の下まで波がきていたと記しています。本牧の家は残念ながら1年ほどで台風の高潮で被災し、山手へ転居しますが、さらに関東大震災で被災し、谷崎は関西へ拠点を移しました。しかし、本牧での生活はその後の谷崎の作品に大きな影響を与えたとも言われています。
本牧の谷崎家があった場所の近辺は、震災・空襲・接収・埋立を経て、現在は「シティ」の名に相応しい立派なマンションが並ぶ美しい街へと生まれ変わりました。本牧には谷崎のほかにも、名だたる文豪が暮らしました。10〜11月には中区内の各施設・店舗で本にまつわるさまざまなイベント『なか区ブックフェスタ』が開催され、当館を含む数会場では、谷崎ほか本牧ゆかりの作家をご紹介します。
次回はペリー来航時、本牧にもお台場が造られたかもしれない…というお話です。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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