私設の生麦事件参考館 『歴史の会』が運営へ 淺海館長は語り部引退
区内の郷土史などを研究している市民団体「鶴見歴史の会」が、私設の生麦事件参考館=生麦1の11の20=の管理・運営を館長の淺海武夫さん(84)から引き継ぐ方向で検討している。
生麦事件参考館は1994年に淺海さんが個人で開館。同館では、淺海さんが国内外から収集した生麦事件に関する資料や文献を保管・展示している。
参考館の管理運営は、淺海さんと9人のスタッフが中心となって行っていたが、2012年に淺海さんが体調を崩した。参考館の管理もままならなくなり、開館20周年となるこの5月3日に閉館することを発表していた。
しかし、閉館の知らせを聞いた歴史の会が駆けつけ淺海さんと協議。その結果、歴史の会は資料館の管理・運営を引き継ぐことを検討していくことになった。具体的な運営方法などは、今後検討していくという。同会の金子元重会長は、「生麦事件は、近代化の出発点。その歴史を網羅した資料は非常に貴重なので、今後も残していきたい」と話す。
恩返しで20年
もともとは歴史が嫌いだったという淺海さんだが、一人の男性との出会いが、生麦事件に没頭するきっかけになった。その男性は、鹿児島から事件の碑を見に来ていた。後日淺海さんのもとへ便りが届く。「生麦事件は近代国家成立の発端なのに、資料を見せる場がないのはなぜか」と問う内容だった。男性の言葉にうたれた淺海さんは、地元への「恩返し」の意味もこめて、生麦事件を調べ始めた。
当初は事件の資料はほとんど残っていないとされていたが、「凝り性でやりだしたらとことんやらないと気がすまない」と地道に資料を収集。早稲田大学に入学し学び直すという徹底ぶりだった。
悔いはない
精力的に講演会も行い、開催数は計255回におよぶ。中でも生麦事件の発生から150年を迎えた12年は、各所を講演会のために飛び回った。体調を崩したのは多忙を極めていたその年の暮れのことだった。一旦発表した閉館の反響は大きく、多くの人が訪れているという参考館。「皆『もったいない』と言ってくれて。それだけ役に立ったのかと満足感がある」と笑う。
「決断までに悩むことはなかった。やるだけのことはやった。資料が今後も散逸することなく、多くの人に利用してもらえたら」と淺海さんは希望を託すように話していた。
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生麦事件は、1862年8月21日に英国人4人を薩摩藩士が斬りつけた事件。薩英戦争から明治維新へとつながる契機となった。
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