区内の花き生産者で最年長となる 吉田 一男さん 馬絹在住 94歳
感謝の花束、全国へ
○…区内馬絹は花桃や菊の産地として戦前から有名だ。馬絹の花き生産は父親の吉田仲右衛門が草分け的存在。後継者として、戦後の花き生産を安定させ、販路を発展させることに尽力してきた。若手の育成にも力を入れており、桃や梅などの枝ものを、切断し束ねる「枝折(しおり)」の技術を全国に広めている。「花作りの醍醐味や技術をもっともっと広めていきたい」と話す。
○…1919年、馬絹に生まれた。小学校6年生のころには父親から花作りを教わっていたという。「当時は豚やヤギを飼う家が多くてね。その堆肥で花を育てていた」と振り返る。世界大戦が勃発すると食糧が少なくなり、軍から花を作ることを禁じられた時期もあった。「サツマイモやジャガイモ、お米を作っていた。早く戦争が終わらないかと思った」。1939年、徴兵され神戸から中国・大連へ。兵役中も花のことが頭から離れなかったという。
○…1943年、帰国後24歳で夫人と結婚した。「身体が弱かったので妻や子どもが花作りを手伝ってくれた。たくさん苦労をかけた。感謝してもしきれない」。長男が家業を継いでからは馬絹花き組合の支部長、市の花き生産組合連合会の会長職を歴任。生産者らが花づくりをしやすい環境づくりに尽力。また、当時では珍しい、生産者を紹介した本「花のあゆみ」を発刊するなど花き生産者の地位向上に寄与した。
○…ひとからは「正直で嘘をつかない。信用できる」「気が利く。どこに行っても誰かを笑顔にさせる」と言われることが多い。「人から頼まれるとつい頑張っちゃう。どんどん役職が増えちゃった」と苦笑い。長寿の秘訣はと聞くと、「梅干しを毎朝1つ食べていたら長生きできた」。花は自身にとって、「近すぎて愛でる感じではないかな。それよりも花を贈った時の相手の喜ぶ顔が好き。皆が感謝や愛の印に花を贈りあえたら素敵だね」と瞳を輝かせた。
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12月20日
12月13日