昭和の武蔵小杉
本紙で連載中の「中原街道今昔写真絵巻」の出典本著者で、今年度発行された中原区区制40周年記念写真集の副委員長を務めた羽田猛さん(78)に、小杉駅周辺の昔の街並みついて話を聞いた。
羽田「上の写真は昭和41年に、小杉会館(現:小杉ビルディング)の屋上から撮影した武蔵小杉駅周辺の風景です。左右に延びるのが東横線、中心手前から左奥へ延びるのが南武線です。左下が今の南武線北口バスロータリーの辺りです。
昭和初期には、武蔵小杉駅は府中街道との交差する辺りにあり、今の武蔵小杉駅は、周辺にグラウンドが多かったことから『グラウンド前駅』といいました。南武線は昔、私鉄で南武鉄道といいました。最初、中原街道に沿って鉄道を走らせる計画でしたが、古くから開けている半農半商の小杉の住民が反対し、街道沿いから遠ざけられ低い土地(現在地)へ変更されたのです。なお、写真の左側の南武沿線道路(バスターミナルと横浜銀行の前)は、昭和46年に開通されました。
一方、東急東横線には当時、武蔵小杉駅はなく、府中街道と交差するところに『工業都市駅』(昭和14〜28年)を設置しました。綱島街道沿いに多数の工場があり、従業員の通勤利用としての要望があったためです。東急は、東横沿線に大学(日本医科大・法政大・慶応大)や企業の社宅などを誘致し、駅周辺の開発を積極的に行っていました。
写真の右下付近にあるのは、東電中原変電所です。今年4月に開館予定の新中原図書館が入る高層マンションがある辺りです。また、その上の白い建物は東横第三病院です。周辺には、各会社のグラウンドがありましたが、現在は高層マンション群となり、開発が進められています。撮影当時、これほどまでにマンションが建つとは想像してなく、ただ驚くばかりです。
この移り変わる街を一冊にまとめようと区制40周年にあわせ制作したのが「記念写真集」です。昔の写真を募集し、23人の編集委員で学校や寺、神社などをまわり、約6ヵ月の限られた時間の中で完成させることができました。古くから住まわれている方は、古き良き時代を偲んでいただき、若い世代や新たな区民の方には、昔はこんな街だったんだな…と知ってもらえれば嬉しいですね」
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