秀吉の朱印状を初公開 地元有力者宛てに送った一通が現存
今から420年以上前に、豊臣秀吉が小田原周辺地域の有力者に送ったとされる朱印状が来月、柿生郷土史料館で初めて公開される。上麻生の小島家に送られ長い間保管されてきた御禁制に関する朱印状からは、秀吉と麻生区周辺地域との興味深い関係性が見て取れる。
秀吉が小島家にこの朱印状を送ったのは天正18年(1590年)4月。小田原城攻めを行い、北条氏を篭城に追い込んだ直後と考えられている。3ヵ月に及ぶ篭城戦の最中、秀吉は北条氏の幕下であった周辺地域の有力者や豪族、寺社など40ヵ所にこの朱印状を送った。朱印状には都筑郡麻生郷の9つの村に対し、「軍勢軍乙人に乱暴狼藉の事(=軍人は一般の人に乱暴してはいけない)」「放火の事(=放火してはいけない)」「対地下人百姓、非分之儀申懸事(=地元の人や農民に道理に合わないことをしないこと)」とあり、小田原攻めを機に周辺地域に入り込んだ自らの軍勢に対し、「してはいけないこと3カ条」を書き記している。御禁制と呼ばれるこの3カ条は高札(こうさつ)という板札に書き写し掲示されることで、多くの人に周知されたという。同様の朱印状が小田原城の天守閣にある資料館にも展示されている。
この朱印状を北条氏の幕下にあった地元有力者に送ることで周辺地域の人々と良好な関係を結び「小田原城落城に備え、統治を円滑に進めたいという秀吉の戦略が見て取れる」と専門家は分析する。
柿生郷土史料館支援委員の板倉敏郎氏は小島家宛ての朱印状に都筑郡麻生郷の9つの村名(王禅寺村・古沢村・黒金の郷・石川の郷・三輪の郷・荏田の郷・片平の郷・大棚の郷・万福寺村)が記されていることに着目。「麻生区だけでなく現在の横浜市や町田市の一部にまで及ぶ勢力が当時の小島家にあり、周辺地域を統治したい秀吉にとっても小島家が鍵を握る存在として認識されていた証拠ではないか」と推察している。
小島家の21代目である小島一也氏は「先祖が大切にしてきた朱印状を地元の方に見ていただこうと公開を決めた。ぜひ多くの方に見ていただき、郷土の歴史に思いを馳せていただければ」と話している。
この朱印状は昭和63年に川崎市の文化財に指定され、複製が市民ミュージアムに保管されている。現物が公開されるのは今回が初めて。展示会場となる柿生中学校内の柿生郷土史料館では「地域の宝を少しずつでも公開していくことで、郷土の歴史に触れる機会を設けられれば」と話している。
公開は2月6日(日)、13日(日)、20日(日)の3日間のみ。時間は午前10時から午後3時まで(展示品ガイドツアーは【1】11時〜【2】13時〜)。詳細は同中学校【電話】044(988)0004へ。
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