オレンジとグリーンを基調にした大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)のユニホーム、王選手の700号ホームラン達成記念プレートとロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)・張本選手の通算3000本安打記念メモリアルプレート、そしてアメリカンフットボールチームの色とりどりのタオルマフラー……。富士通スタジアム川崎(旧川崎球場)の事務所の一角に、川崎球場の歴史的資料が展示されたギャラリースペースが開設され賑わっている。野球ファンが噂を聞きつけ遠方から訪れ往時を懐かしみ、観戦ついでに立ち寄るアメフットファンの姿も。皆、嬉しそうに記念撮影に興じている。
ギャラリースペースは今年4月、川崎フロンターレが指定管理者として同スタジアムを運営することを契機に開設された。「大切にしたいのは市民に愛された川崎球場で紡がれた歴史を後世に伝えていくこと、これから始まる富士通スタジアム川崎の歴史を積み重ねること。そして異なる世代が繋がっていくこと」と支配人の田中育郎さんは開設の狙いを説明する。
1951年に開場した川崎球場は、王選手が初めて一本足打法を披露し、通算700号本塁打を達成するなど、数々の記録が生まれた場所。1954年から56年の3年間活動していたプロ野球・高橋ユニオンズが本拠地にしていたことは知る人ぞ知る歴史。1960年には日本シリーズが行われ、同球場を本拠地にしていた大洋が川崎時代唯一のタイトルを手にした。ロッテが本拠地にしていた時代には「ミスターロッテ」こと有藤選手、「マサカリ投法」「サンデー兆治」の異名で知られる村田投手、三冠王を獲得した落合選手らが活躍。近鉄バファローズ(現オリックス・バファローズ)との死闘を繰り広げ、プロ野球ファンの間で語り草となっている「10・19」の死闘もここで生まれた。田中さん自身、川崎市出身。父親に連れられ川崎球場に通った思い出もあるだけに開設に強い思い入れがあったという。
事務所の一角に設けられたギャラリーは、約25平方メートルの広さ。床には、同スタジアムのグラウンドと全く同じ人工芝が敷かれ、川崎球場時代、同球場を本拠地にしていた大洋、ロッテのユニホームや帽子、川崎球場で行われたオールスターの告知ポスターなどが飾られている。91年の集客キャンペーンで話題となった「テレビじゃ見れない川崎劇場。」のポスターも展示。野球殿堂博物館、千葉ロッテマリーンズ、日本プロ野球OBクラブ、川崎市役所、池田記念美術館などから資料を借りたという。
また、同スタジアムのリニューアルの際に倉庫から発見されたお宝も展示。中には大洋が優勝した時に製作された野球手帳は55年間手付かずのまま保存されていたというレアものもある。
野球に加え、現在同スタジアムの最大利用者、アメリカンフットボールに関する資料も充実。日本アメリカンフットボール協会から預かった専門誌は80年代のものから最新号まで揃い自由に閲覧が可能だ。天井には同スタジアムに来場したチームのタオルマフラーを展示している。田中さんは「ここで試合や練習をする団体の皆様にはどんどん持ち寄って欲しいです」とも語る。
「埋もれた歴史教えて」
「うぁー懐かしい」――。6月6日、大学アメリカンフットボールの試合が終わると、観戦に訪れた人たちがギャラリーに詰めかけ、声を上げた。都内在住の女性はロッテオリオンズのファン。「ユニホームが印象的だった」と懐かしんだ。
ギャラリーの存在をネットで知り、足を運んだという人も。子どもの頃から大洋ファンで中学生時代に川崎球場へ応援に来た思い出があるという吉野嘉彦さん=江戸川区在住=は「川崎に来る用事があり立ち寄った。球場とグッズがこういう形で残っていることが嬉しい」と語った。
田中さんによると、ギャラリーには1日平均150人から200人ほどが訪れるという。「野球だけでなく、アメフットファンの姿や雑誌で昔の自身の勇姿を探すアメフット経験者の姿が多く見られます」と話した。
今後は定期的に展示内容を変える予定で大規模なプロレス興行やモトクロスの大会、レゲエのライブなども行われていた歴史も紹介していきたいという。田中さんは「市民の皆様から過去の情報や埋もれた歴史を教えて欲しい。球場に関する貴重な品々もお貸し頂けたら」とも話す。
ギャラリーは午前10時から午後8時まで開かれている。年中無休。入場料は無料。問い合わせは、同スタジアム(【電話】044・276・9133)へ。「埋もれた歴史教えて」
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