戦争「語り部」年を追い減少 どう伝え継ぐ「終戦の夏」
戦後69年を経て、戦争の悲惨さを自らの体験として次代に伝えられる人が次第に減っている。平和都市宣言から30年。8月以降記念事業を数多く予定する相模原市にとっても、それは直面せざるを得ない問題の一つといえる。
唯一の被爆国として多くの自治体が恒久平和への強い意志と決意を内外に示す中、相模原市は1984年「核兵器廃絶平和都市宣言」を発表、毎年継続して平和思想の普及啓発事業を推進している。宣言から30周年を迎える今年は「平和・原爆ポスター展」「平和ポスターコンテスト」「広島市派遣 相模原市平和大使派遣」「新垣勉さん講演・コンサート」「ながさき 戦争・原爆被災展」等、例年にも増して内容を充実、「市民平和のつどい」と銘打って来年2月1日まで啓発事業を展開する予定だ。
その一環として8月3日に行われた「平和映画上映会」にも、多くの来場者が訪れて鑑賞、その際、同時に開催された被爆体験者の証言にじっと耳を傾けた。当日自らの被爆体験を語ったのは「相模原原爆被災者の会」(丸山進会長)のメンバー。戦争の実体験をありのままに証言するこの語り継ぎは毎年行われている事業の柱の一つだ。「この平和のつどいの他にも、小中高校などに出向いて体験を伝えています。昨年は11回行いました」と丸山会長。被爆後の凄惨な場面も包み隠さずありのままに伝え語る。体験談を話した後に提出される作文を見ると、心に届いた強い手応えを感じるという。
共感し、参加してもらえる活動を
「語り継ぐことが我々の使命だと思う」と話す一方で課題も口にする。「私は広島にいて5歳の時に被爆した。今74です。被爆時に私より大人だった人の体力的なことも考えると、今後語る人はどんどん少なくなる」。同会が所属する神奈川県原爆被災者の会は平均年齢が79歳。時間とともに体験を語り継ぐ人の数は減っていくばかりだ。
「平和のつどい」事業を所管する市渉外課では、被災者の会の体験談の他にも、広島に小中学生を派遣して被爆体験者の話を聞くなどの事業を展開しているが、市内での語り部の確保・育成となると手つかずの分野。
丸山会長は「戦争の現実、被爆の実相をいかに語り継ぐかが我々にとっても大きな課題。会の内部でも、被爆2世との引き継ぎや映像を使って語りを補足する方法を試すなど、取り組みは始めていますがいずれも道半ば。小さな事業にも、体力が続く限り数多く真摯に取り組んで、共感し参加してもらうきっかけを作ることが、やはり一番大切なのかもしれない」と話す。
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