夫婦で交流・発信に尽力
岩手県大船渡市と陸前高田市の間に位置する碁石海岸。海岸を望む末崎町に「鮮魚シタボ」がある。村上勝弘さん・富士子さん夫妻が営む魚店で、愛犬のフランと共に迎えてくれる。今では全国からの学生ボランティアや、修学旅行生たちを快く受け入れ、魚のさばき方を指導したり、バーベキューでもてなすなどして交流を深めている。勝弘さんは「遠くの親戚を迎えるような気持ちで待っています」と話す。そんな村上さん夫妻も震災で娘を失い、家も失った。
末崎町で最も小さい地域だった泊里地区。そこにあの大津波が襲う。村上さんは約30世帯での避難所生活を余儀なくされ、そこで3カ月間を過ごす。その後、仮設団地に移り5年間暮らした。富士子さんは「仮設生活で自由に話せるようになって、正直ホっとした」と振り返る。
津波で亡くした娘の佐代里さん(震災当時26歳)は、震災の前年に帰郷し、陸前高田で働いていた。地震の後、佐代里さんと連絡が付かなかった村上さん夫妻は陸前高田に向かうも、変わり果てた街を前に落胆した。探し回った末、住田町の安置所で無言の再会。勝弘さんは「見つかると死を認めることになるから、見つからない方が良かったな」と言ったという。富士子さんは「でも見つかって供養できて、良かったかなとも思う」。今年で七回忌。墓はまだない。勝弘さんは「でも、夢に出てきた事はないよ」と話し、富士子さんは「遺骨は部屋にあります。だから、そこにいるんです」
村上さん夫妻といえば、富士子さんが震災以前から更新しているブログ「鮮魚シタボママの日記」。最初は上京した子どもたちに近況を知らせようと始めたものだが、震災後は「被災した末崎町の私たち」に立場が変わり、現地の復興状況を発信する貴重な情報源となった。「大船渡の事を発信する人がいない。だから続ける」。今後も末崎町の日々の復興を伝えるため、軽トラックを元気に走らせる。
震災から6年。ようやく新居が高台に完成し、引っ越しを控える。新たな生活を前に今後について聞くと、富士子さんは「(別の地に行くのは)嫁に行くような気持ち」と少々不安げだが、勝弘さんは「これからも皆さんとお会いできるのが楽しみ。ぜひ大船渡に来てほしい」と話し、「それとやっぱり、妻とフランと楽しく暮らしていくこと。それが夢だね」とにっこり。
末崎町に行けば、笑顔の二人が待っている。
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