「早く復興に向け動き出したいんだ」― 「東日本大震災」で家が壊れ、そして福島原発による放射能漏れで避難を余儀なくされた橋本寿行さん一家(福島県いわき市)が町田市大地沢青少年センターで避難生活を送っている。「町は多くの人が自主避難し、残っているのは高齢者か動けない人。物流もなく、ゴーストタウンと化している」という。そして”情報の少なさ”に最も不安を感じるという。
橋本さん宅は、福島県いわき市中央台。福島原発から南南西に40Kmほど離れ、避難勧告や屋内退避などの指示が出ていない場所だ。地震のため瓦が雨のように降ってきて、家屋も半壊し、すぐに生活ができる状態ではないという。
被災時、ご夫妻はそれぞれの職場、娘さんは自宅にいた。ご主人の工場では重さ5トンの機械がずれ、自宅では食器、本、写真など全てのものが落ちてきた。「外に出ようにも瓦が落ちてきて、フトンを被って家から出てきた人もいっぱいいた」。中央台から近くの海岸沿いにある浜街道沿いは津波で壊滅的被害を受けたが、放射能漏れがあり、自衛隊による捜索作業と遺体場所の確認作業が行われているだけだ。
「本当は自分たちの手で、復興のお手伝いをしたい。原発さえなかったら、一生懸命お手伝いができたのに」
中央台は避難勧告も屋内退避も指示されていないが、12日に福島第一原発から半径10Kmが避難区域に設定され、同日夕には避難指示が半径20Kmに、15日には20Km以内で全員退避、30Km以内が屋内退避となった。橋本さん宅は国道6号線沿いにあり、「15日には、いわき市から出る車で大渋滞となった。あれを見たら、『自分たちも避難しないと』と思うよ。町は住民がいなくなり、まるでゴーストタウン。スーパーは従業員が避難して物資の受け取りもできない。会社も社員がいなくて、地震の被害がなくても操業でしない。ガソリンもなく、動きたいけど動けない人と一人暮らしの高齢者しか残っていない。残った人は水もなく、物資も届かず大変な思いをしている」。
避難勧告が出ていない地域では、情報が届かず、放射能の恐怖が町を襲った様子が伺える。橋本さんは、「自治体単位で避難しないとパニックになる。『この辺りから南側は大丈夫』と言われても、その周辺は生活機能が完全に不全になる」と訴える。
「テレビでは被害の大きかった場所しか報道しない。被災地である自分たちのいるところが、どうなっているのかまったく分からない」と情報の偏りを危惧する。 大地沢青少年センターでの避難場所提供は4月27日まで。それまでに次の生活場所を決めなければならない。「先のことを自分で決められないのが一番不安」という。都営住宅提供も「国から避難指示等が出された地域等からの被災者」が対象で、自主避難した人が救済されるかまだ分からない。
情報の格差が広がる怖さ
橋本さん一家が自宅を離れたのは15日。常磐自動車道が通行止めとなっていて、どこも大渋滞していた。やっとの思いで他県に着き、避難所を要請したが、 「他県の人は受け入れられない。もう満員だ」と追い返されてしまった。当初は親戚など3家族が一緒に行動していたが、他県で親戚がいると受け入れてもらえ たり、違う身寄りの所へ行くなどで3家族ともバラバラになってしまった。
「混乱の中では渋滞の情報も得られないし、避難所の場所も分か らない。やっと情報を知ったのは娘の携帯電話でのインターネットの情報だった」と振り返る。「いつもは『携帯ばかりいじって』と怒っていたのに、今回はそ の携帯に助けられた。娘がいなかったら情報を得られたか分からない」という。
17日には町田市に住む娘さん宅にやっと身を寄せたが、管理会社から「長く居ては困る。駐車場代は払ってほしい」との話もあり、娘さんの携帯から知った町田市の被災者受け入れ情報を頼りに24日の入居となった。
娘さんは「地元に残った人たちがどのようにして、今起こっている情報を入手できるか心配。地元ボランティアの人たちもいるが、皆さん高齢で、そして被災者。点々としている一人暮らしの人々をカバーできるか本当に心配だ」と話す。
また東京に出てきて驚いたことは「お笑い番組がいっぱい放送されていること」だった。「私たちは少しでも多くの情報が欲しい。地元のことや原発、住む家、将来のことなど様ざま。まったく震災のことを報道していない時間もあって、心配になった」
町田市大地沢青少年センターが避難所になったのは初めて。三宅島噴火のときは準備だけでだった。今回の受け入れで洗濯機や情報を得るためのテレビなどを施 設内に初めて設置した。130人収容可能だが、現在は3組10名(3/28現在)。60件以上の問合せもあり、「多くの方が来られても対応できるように準 備していきたい」と話している。
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