八王子消防記念会(吉水利夫総代=79)による「はしご乗り」が1月7日、八王子駅北口周辺で行われた=写真。
同会は古典的な消防方法等を伝承していくため1957年に結成された組織で、現在は八王子市街地と浅川地区で「鳶職(とびしょく)」に従事する58人が所属している。
はしご乗りは垂直に立てたはしごの上で曲芸を行う伝統行事。新春の風物詩として知られ、当日は子安神社(明神町)、中町周辺などの4会場で披露された。訓練をつんだ「乗り子」とはしごを下で支える「鉤(かぎ)持ち」による、息をのむ妙技を一目見ようと、今年も多くの観客が集まった。
なお、はしごの高さは約7メートルあり、毎年新しい青竹で作られる。
町火消しの歴史
「八王子の火消しは江戸の伝統を引き継いでいる。町火消し制度を創設した大岡越前に由来するものだよ」(吉水さん)
八王子の消防、町火消しの始まりは天明年間(1781〜89年)と言われている。明治時代になると、各自治体の規則によってなど消防組が組織された。1894年(明治27)、消防組の全国統一が行われ、八王子町には8組の官設消防組が「鳶職」を中心に誕生した。「まちの消防」については彼らが多くの役割を担っていた。
当時の鳶職の仕事は「地形(じぎょう)」「足場」「建方(たてかた)」が主だった。地形は建物を作るにあたり、大きな櫓(やぐら)を組んで「木遣り(きやり)」を唄いながら地固めをすること。建方は柱や梁を組む作業だ。
このような仕事の性質から、鳶職は高所作業に長けていた。さらに家屋の構造をよく理解していたため、町火消しにおいて欠くことのできない存在だった。
また、消防組の組頭などは町の「頭(かしら)」として各町の治安維持や祭りの仕度などにも携わった。なお現在においても、正月の松飾の用意などはそれぞれの「頭」がまとめているところもある。
1939年(昭和14)、防護団と消防組を母体として、警防団が結成される。消防組の主力だった鳶職は、警防団と別組織「特別消防部」を結成。1947年(昭和22)に警防団は解散し、消防団が設置され、消防機能は警防団から消防団へ委譲された。
そして1957年(昭和32)、鳶職による木遣り(市の無形民俗文化財・民俗芸能)やはしご乗りなど、「消防の文化面」を継承すべく八王子消防記念会が発足した。
7日のイベントでは同会の会員が商店街を練り歩き、低く重たい声で木遣りの披露もした。「当時、八王子から江戸へ出稼ぎに行く人が多かった。向こうで木遣りを覚え、八王子消防組員に伝承したよう」と吉水さん。吉水さんは現在、木遣りの指導も行っている。「木遣りもはしご乗りも(江戸の)正式なもの。八王子は『江戸の田舎』だよ」
*参考資料/まちとむらの火の用心(八王子市郷土資料館)
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