2012年に解散した旭町の地神講中(じじんこうちゅう)が代々受け継いできた江戸時代後期の掛け軸を用いた学習講座が8月9日、厚木南公民館で一般向けに初めて行われた。
地神講中とは、地域の農家で作られた組織のこと。年に2回、春分と秋分の頃に五穀豊穣を願って、土地・畑の神様(地神)の祭りを行い、代々受け継がれる地神などが描かれた掛け軸を飾って酒宴が設けられ、農業の情報交換が行われていた。
講座で使われた掛け軸は講中解散の際に市郷土資料館に寄贈されたもの。これらの掛け軸、実は「処分に困ってお炊き上げしてしまおうかと思っていた」という。寄贈時に対応した同館の大野一郎館長は、4点全て江戸時代後期のもので、当時の風俗や人々の暮らしが垣間見える歴史的にも価値のある品であったため、「譲ってください」と申し出、灰になるのは免れた。
掛け軸の一つ、「堅牢地神」は江戸時代後期の厚木の文化人、齋藤利鐘(としかね)の書。齋藤利鐘は、国宝「鷹見泉石像」などを残した当時の人気画家で武士の渡辺崋山(かざん)が厚木を訪れた際に案内人を務め、厚木の6カ所の風景を描いた「厚木六勝図」を崋山に依頼した人物。そのうちの一枚の「熊林曉鴉(ゆうりんのぎょうあ)」として描かれた森が今の熊野神社(旭町)だ。絵からは、樹齢500年のイチョウの木1本ではなく、たくさんの木が茂る森が広がっていた当時の姿を知ることができる。神社の入り口には、そのことを記す石碑が残る。
断腸の思いで解散
講座は同地区文化振興会(松尾美智代会長)が地域の伝統文化を知ってもらおうと主催したもので、地域住民26人が参加。講師に大野館長を招き、掛け軸を用いた講義や熊野神社の見学などが行われた。
先祖代々この地の講中に属し解散にも関わった松尾敏男さん(80)と同会会長で妻の美智代さん(81)によると、旭町では江戸時代後期には講中があったとされ、近年では20の世帯主で組織されていた。しかし、時代とともに農家を継ぐ家が減り、農地の都市化も進む中で、11年の東日本大震災の際に地神講を中止したことをきっかけに解散の話があがり、12年6月をもって解散に至ったという。「百姓にとって何においても大切にしてきた地神講中の解散は断腸の思いだった」と敏男さんは振り返る。
大野館長は「市内に地神講はほとんどないのでは。この掛け軸のような貴重な資料が眠っていたら気軽に見せてください」と話した。
![]() 熊野神社にある石碑
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