鎌倉と源氏物語 〈第2回〉 真面目な少年 北条実時
「武士の都」として知られる鎌倉ですが、『源氏物語』と深い関係があることはあまり知られていません。文化薫る歴史を辿ります。
現代に伝わる『源氏物語』の写本のひとつ、「尾州家河内本源氏物語」の奥書に名を残し、金沢文庫を創設した北条実時。彼が鎌倉幕府を代表して将軍に仕える「小侍所別当」になったのは11歳の時でした。当時の将軍は第4代九条頼経。きっかけは、父・実泰の病気です。
当然、御家人たちは「少年にそんな重責は無理」と反対します。それを押し切ったのが、第3代執権の北条泰時でした。泰時にとって実泰は弟。実時は甥です。
これは弟の家を守るためだけでなく、勤勉な実時を買っていたためで、未熟な分は自分が助けるからと周囲を説得したのでした。
が、これには裏があります。父・実泰の病気は鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』に記された表向きの理由。実際は、腹を突き切って、幾度となく意識を失う事態に陥ったからでした。狂気の自害説もあります。当時、京都にいた藤原定家の日記『明月記』にそう書かれているのです。なぜ、定家がそんな情報を持っていたのかは、今まで謎でした。
しかし、これは『源氏物語』を介すと簡単に理解できます。定家は「河内本源氏物語」を作った源親行と親しく、親行は今コラム冒頭に登場した第4代将軍頼経に仕えていました。小侍所別当だった実時の父・実泰を知っていてもおかしくありません。定家は親行から情報を受け取っていたのでしょう。
織田百合子
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