鎌倉と源氏物語 〈第4回〉 ファーストレディ松下禅尼
「武士の都」として知られる鎌倉ですが、『源氏物語』と深い関係があることはあまり知られていません。文化薫る歴史を辿ります。
第4代執権北条経時の母・松下禅尼といえば兼好法師が書いた『徒然草』の障子を張るエピソードで、質素なイメージが定着しています。しかし、それは出家後のおそらく40歳を過ぎてのこと。夫である北条時氏の六波羅探題北方の赴任で、一緒に京都に上ったときはまだ20代前半でした。
六波羅探題北方は京都では鎌倉幕府のトップで、松下禅尼は、今でいう「ファーストレディ」。質素どころか、宮廷やお公家さんを相手にした華麗な文化の体験者です。また、夫妻は京都で藤原定家と親しく交際していたと定家の日記『明月記』に記されています。
定家が「青表紙本源氏物語」を作ったのは1225年。ちょうど夫妻が京都に滞在していたときで、長男・経時が生まれた翌年のことでした。
この一家が、鎌倉人として「青表紙本源氏物語」を目にした最初の人たちだと私はみています。松下禅尼は、定家との交流で、『源氏物語』に目覚めたのかもしれません。
夫妻が京都に赴任した最初の年に経時、4年目に時頼、その後に時定が生まれます。鎌倉へ帰る年に、檜皮姫を懐妊しました。
2、3歳になった時頼が母・松下禅尼に抱かれながら、「青表紙本源氏物語」を見せられて手を伸ばし、「触ってはいけません」などと注意されている場面を想像すると、微笑ましいです。
織田百合子
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