下寺尾遺跡群 1300年前の足跡後世へ 国史跡指定目指す、調査成果と課題
茅ヶ崎市は、茅ヶ崎北陵高校(下寺尾128)の周辺にある「下寺尾遺跡群」の国史跡指定を目指し、1978年から実施してきた調査内容をまとめている。今後、地権者への説明や専門家との協議を重ね、指定範囲を絞り込み、数年後の指定を目指して手続きを進めていく。
北陵高校周辺では、2010年までに計49地点で調査が実施されてきた。
同校のグラウンドでは、2002年に大規模な建物跡の柱穴群が発見された。専門家の調査により、その場所には、西暦700年後半以降に営まれた相模国高座郡(現在の茅ヶ崎市、寒川町、綾瀬市、海老名市、相模原市、座間市、藤沢市、大和市)の役所「高座郡衙(たかくらぐんが)」があったと推定されている。
また、同校から南西部に位置する隣接地には、同時期の寺院「七堂伽藍」とみられる遺跡が発見された。
同伽藍では、異なった2時期(創建期と改修期)の柱穴や、寺院を区画していたと考えられる遺構などが見つかっている。市教育委員会は、それらを照らし合わせ、創建期は少しいびつな形で、伽藍域一辺の最長部分は約83m、改修期には形が整えられ一辺約78mだったと推測している。これらの大型遺構群は、一般的な集落遺跡では見られない貴重な遺跡という。
当時の景観を保護
市教育委員会によると、高座郡衙や七堂伽藍などの大規模な遺跡が隣接地に併存していることが、重要性をさらに高めているという。
また周辺では、小出川の近くで船着場跡が見つかっているほか、弥生時代の土器や環濠集落、縄文時代の貝塚なども発見されている。
市教育委員会は、「下寺尾遺跡からは、相模湾や富士山が一望できます。きっと当時の人も同じ景色を見ていたんだろうと思います」と話す。当時の景観が現在まで保護されていることが、多くの遺跡が残っている要因のひとつと言えるだろう。
指定が実現すると、約1300年前の遺跡が保護されることはもちろん、景観の保護にもつながる。
活用法には課題も
国史跡指定後の保存活用には課題もある。
同遺跡群は、大規模なため私有地と県有地が混在している。私有地は、国史跡指定されると区画整理事業による宅地開発などができなくなるため、地権者の理解が重要となる。
また、高座郡衙遺跡が発見された北陵高校は、県立高校のため土地は県有地だが、遺跡を一般に公開するとなると、防犯上の理由などから同校との共存は難しいと考えられている。
市教育委員会は「(理想は)吉野ヶ里遺跡のように、一部の遺跡を復元し、公園として市民の憩いの場にすること。そうなれば、縄文時代から弥生、古代まで、子ども達が歴史を学べる場になります。それは茅ヶ崎の宝になるはず。そのためには、皆さんに遺跡の重要性を知ってもらう必要があります」と話している。
専門家によるシンポ
同遺跡群の調査成果と、各分野の専門家による見解が聞けるシンポジウム「下寺尾官衙遺跡を考える」が7月15日(日)と16日(祝)に、茅ヶ崎市役所分庁舎6階コミュニティホールで開催される。定員は各日200人。無料。申込み不要。詳細は市社会教育課【電話】0467・82・1111へ。
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