2011年3月11日に発生した東日本大震災から丸5年が経過した。多くの人が亡くなり、私たちの生活を一変させた未曾有の災害の記憶と、震災以降の茅ヶ崎市の動きを振り返る。
震災後、茅ヶ崎市では地域防災計画や防災対策組織を見直し、津波発生時の緊急一時退避場所として高層建築物の所有者と協定を締結。津波監視カメラや移動式ホース格納箱を新設し、災害対策本部の拠点となる新庁舎の機能も強化した。
国の被災者支援に登録し茅ヶ崎市へ移住した人は3月8日現在で63世帯・127人。市保健福祉課を窓口に日本赤十字社を通じて被災地へ贈られた義援金は約7200万円だった。これまでに119人の市職員が被災地支援に派遣されている。昨年10月から岩手県陸前高田市に派遣されている茅ヶ崎市職員の中島悠太郎さん(28)に話を聞いた。
大学で被災
茅ヶ崎市柳島出身の中島さんは、北里大学に在学中、岩手県大船渡市のキャンパスで震災を経験した。「3月9日に卒業式を迎え、11日の夕方に茅ヶ崎に帰る予定でした」。出発の前に大学で恩師や友人と過ごしていた時、これまで経験したことのない大きな揺れを感じた。「崖が崩れ、アスファルトは割れ、何が起こっているのかわからない状態。揺れが収まった後、住んでいた高台のアパートに戻り海の方角を見ると堤防の上に船が見え、あっという間に水が堤防を越えました」。大学が手配したバスが来るまで、1週間ほど体育館で避難所生活を送った。
茅ヶ崎へ帰り、ほどなくして市の職員採用試験を受けた。「あの時、被災者のため懸命に働いていた人たちのように地域に貢献する仕事に就きたい」。晴れて入庁し昨年、被災地派遣の打診に「お世話になった地域に少しでも恩返しができれば」と応じた。現在は妻子と陸前高田市の仮設住宅に住み、都市整備局市街地整備課で換地設計や地権者交渉などの土地区画整理事業に取り組んでいる。派遣期間は16年9月30日まで。現在、茅ヶ崎市からの被災地派遣職員は4人。中島さんは「仮設住宅は中学校の校庭にあり、よく近隣の人が『不自由はないか』と気にかけてくださいます。地元の方々が一日でも早く新しい生活を迎えられるように頑張ります」と語った。
茅ヶ崎市では3月11日、震災犠牲者追悼のため市内公共施設で半旗を掲揚、午後2時40分頃に防災行政用無線で黙とうを呼びかける。
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