連載 第1回 八重と蘇峰 徳富蘇峰記念館学芸員 塩崎信彦
”終生の師”新島襄とその妻
徳富蘇峰(とくとみそほう・1863-1957)は、明治から昭和にかけて活躍した新聞人・ジャーナリストです。明治20年に総合雑誌「国民之友」、そして3年後に「国民新聞」を創刊し、以降亡くなるまでの約70年間、自らの論説を間断なく紙面に書き続けました。その活動は多岐にわたり、言論人はもとより思想家、歴史家としても高く評価されています。
熊本の惣庄屋の長男として生まれた徳富猪一郎(後の蘇峰)は、熊本洋学校から13歳で京都の同志社英学校に入学、そして終生の師となる新島襄(1843-1890)と出会います。
昨年、その恩師である新島襄の妻・新島八重(1845-1932)がNHK大河ドラマ「八重の桜」のヒロインに選ばれるや、にわかに蘇峰とその周辺にも注目が集まりました。徳富蘇峰抜きには八重の実像は描けないとの理由からです。蘇峰は新島襄亡き後の八重を40年以上にわたり支えました。彼女が86歳の生涯を閉じた際には、「新島(襄)老婦人の永眠」と題する追悼記事を新聞に掲載し、「一個の女性としても日本女性の誇りとするに足る一人であった」と称えました。
当館では、資料が少ないことで知られる八重さんのそれを幅広く揃え、特別展「新島八重からの6通の手紙展」を開催中(12月23日迄)。ご来館の皆様にドラマ登場人物からの”時を超えた”手紙が運ぶ不思議な魅力を感じていただいております。
二宮町にある徳富蘇峰記念館の学芸員・塩崎信彦さんが、新島八重と蘇峰について4回シリーズで紹介します。
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