東日本大震災の発生から半年の9月11日、一艘の船が真鶴マリーナから被災地・石巻市の港へ出航した。船の名前は「第三坂口丸」。小田原漁港で30年の間、釣り船として活躍した13tの船だ。市民レベルの奉仕活動により、被災地の漁船として新たな船出を果たした。
市内の会社に勤める野谷稔さん、渡邊賢介さんと、友人の奥田弘幸さんの3人は、宮城県石巻市の牡鹿半島に自ら重機を持ち寄り瓦れき撤去のボランティアを続けている(タウンニュース小田原版6月4日号で既報)。活動を続けるなかで3人が知ったのは、現地の漁業の壊滅的な状況だった。奥田さんによると、牡鹿半島では760艘の漁船のうち730艘が津波の被害を受け、漁に出られるのはわずか30艘のみという。
奥田さんは被災地の漁師の言葉に衝撃を受けた。「俺らに船さえあれば…。あなたたちボランティアの方にお礼ができるのに」。家もない、船もない状況で、他人への心づかい。奥田さんは「このままでは終われない。この人たちに船を用意したい」と心に誓った。
奥田さんが頼ったのは、日頃から世話になっているというリキレーシングマリーンサービス代表の高橋敏光さん。高橋さんは奥田さんの話に心を打たれ、各方面に協力を呼びかけた。そこで見つかったのが第三坂口丸。坂口丸のオーナーで、40年以上小田原漁港の船宿を営む久保田源太郎さんは「古い船。どうせなら被災地の役に立ってもらいたい」と無償の提供を快諾した。船の整備は材料費など実費のみの負担で、高橋さんが請け負った。「船はしっかりしているし、エンジンの状態も良い。まだまだ走れるはず」と高橋さんは太鼓判を押す。船の名義変更など手続きは小田原市漁業協同組合が協力した。
船の新たな主人は、石巻・鮎川漁港でワカメなどの養殖漁を営む漁師の安部敏治さん(43)。安部さんは、骨肉腫という病気で足の切断を余儀なくされた小学生の娘がいる。娘のため2月にバリアフリーで新築したばかりの家を津波が襲った。幸い娘さんと奥さんは仙台の大学病院にいて命は無事だったものの、安部さんは新築した家と2艘の船を失った。
船が届く―。その吉報に安部さんは、牡蠣の養殖の準備を進めている。船の名前は、坂口丸改め「優斗丸」。跡継ぎである息子の名前をつけた。娘も父の新しい船の到着に、病院から車椅子で駆けつけるという。
ボランティアの奥田さんは、整備を終えて試運転する船を感慨深げに見つめた。「本当に嬉しい。向こうの海でも活躍してもらいたい」。優斗丸は「被災地の復興」を旗印に9月11日、小田原から旅立った。
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船は支援物資を積んで届けられる。被災地では、冬物の衣類や、寝具などの物資が不足しているのが現状。衣類の繕いや内職をするためのミシンも重宝されるという。奥田さんは支援物資の提供も呼びかけている。連絡先はフェイスブックhttp://ja-jp.facebook.com/people/Hiroyuki-Okuda/100002847786485
![]() ▲市民レベルで被災地支援を続ける奥田さん(左)と整備を担当した高橋さん(右)
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