太平洋戦争中に米国の日系アメリカ人強制収容所で過ごした経験をもつアリス・セツコ・ヒライさんを招いた講話会が、生涯学習センターけやきで7月9日に開催された。
今回の企画は市内に住む加茂圭子さんが、高校のOB会を通じてヒライさんの通訳を務める田中朋子さんと知り合ったことを機に実現したもの。米国で看護師を務めながら各地で収容所体験の講演活動を行うヒライさんの来日を知り、「日系アメリカ人収容所について書かれた書物は少ない。話を聞けるのは貴重」と講演を依頼したという。
太平洋戦争が始まると、ルーズベルト大統領の指示により西海岸に住む日系人12万6千人が各地の収容所へ送られることになり、サンフランシスコで生まれたヒライさんも3歳の時に一家でユタ州の「トパーズ戦争移住センター」へ。収容所へ向かう列車では白人に差別的な言葉を浴びさせられ、乳児だった弟まで唾を吐きかけられたという。
収容所は板1枚で建てられた掘立小屋。水道はなく、灯りも天井に吊り下げられた電球のみ。それでも「ベッドもあるし、悪い所じゃない」と父に励まされ、終戦まで約2年を過ごした。
ヒライさんは、「大人になって収容所は米国史上最悪の人権侵害だったと知った」としながらも、「仏教の教えに従い、否定的な感情は捨てて生きようと決めた」という。そして、「かつてはわれわれを憎んでいた米国人も、今は愛してくれる。愛は憎しみよりも強い」とし、平和の大切さを訴えていた。
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