人・もの・場所を介して、小田原に残る戦争の記憶を綴る。78歳から82歳まで1歳刻みに年齢が異なる5人のフラダンス仲間は、全員が戦争体験者。花田房子さん(82)と中津千鶴子さん(81)は戦中から市内に住み、川崎千枝子さん(80)は東京から小田原に疎開してきた小学生だった。
花田さんは尋常小学校6年当時、しばしばB29に心を奪われた。美しい銀色の機体が去った後、白く長く引く雲の様子を鮮明に覚えている。授業中、先生から投げられた「B29をどう思うか」という問いに、素直に「綺麗だ」と答えた。「とんでもない!あれは敵機です」とひどく叱られたことを、「いま思えば、子どもの感受性を殺すような否定の仕方だったわね」とほろ苦く笑った。
中津さんは空襲時にすれ違った消防団の様子が忘れられない。「わっしょいわっしょい」のかけ声のもと、水を溜めたポンプ付きの押し車で出動する姿に「子ども心にも『これじゃ勝てない』と思った」と言う。
母方の叔母を頼り、品川から栄町に疎開してきた川崎さんは、両親と離ればなれになることが何より「悲しかった」と振り返る。
戦中に登場したサツマイモ「農林一号」は、花田さんたち世代には馴染の名前。今のものと比べれば甘みも食感も劣る代物だった。煮詰めた海水を舐めて塩気を摂り、仙了川のしじみやイナゴ、野草を食す毎日。「みんな棒切れみたいにやせ細っていた。おしゃれなんて考えたこともなかったわね」。中津さんは青春時代をこう振り返った。
終戦を境に、日常はがらりと変わった。なぜか空襲警報が鳴る日もあったが、もはや防空頭巾をかぶろうともしない同級生に、先生は涙を流してこう叫んだ。「今は休戦なんです」。思えば、大人は敗戦を認めたくなかったのだろう、花田さんは振り返る。「戦況が芳しかったときには、陥落した国に旗を立ててね」。教室に貼ってあったアジアの地図は、いつしか剥がされた。終戦直前に中井町へ疎開した中津さんは、終戦の喜びから声高らかに大手を振って小田原に戻った。ジープに乗り箱根に向かうアメリカ兵の陽気さと対照的に、板橋のお地蔵さんや松原神社の祭りで金銭を請う傷痍軍人の姿を、切なく覚えている。
戦後、結婚して子宝に恵まれた花田さんは、「子どもを戦争に送り出す世代の母親でなくて良かったと、心底思う」と、噛みしめるように言葉を結んだ。
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