江戸時代の地蔵を復元 「関本宿を語る会」が祠を建立
江戸時代から「子育て地蔵」として関本の人々に親しまれていた地蔵が「関本宿を語る会」(平成17年発足、会員25人、本多秀雄会長)によって復元され、新たに建てられた祠に納められた。
関本には江戸時代から人々の信仰を集めた地蔵尊があり、文化4年(1807年)に作成された『矢倉沢通見取絵図』にも「関本村地蔵堂」と表記された場所があり、当時から地域住民の心のよりどころになっていたという。
もともとは小田原と甲州を結ぶ”足柄峠を越える道”(現在の県道78号線)沿いに設置されていた地蔵だったが、様々な事情により近年では関本公民館にひっそりと置かれていたという。しかし、その造りの見事さから2008年頃「この素晴らしいお地蔵さんをどうにかできないか」と同会に相談があったことをきっかけに復元の取り組みがスタートし、関本村地蔵堂があった場所の近くに新たに祠を建立して地蔵を納めることとなった。復元作業は地蔵の背面のヒビなどを修復したほか、祠の建築を中沼に住む大工・深瀬源吉氏に、基礎部分は関本にある向山石材店にそれぞれ依頼した。深瀬氏は「お地蔵様を祀る祠なので釘などは使わずにヒバの木材に溝を掘ってはめ込んで組み上げた。長年使っていくことになるので、修繕がしやすいように飾りなどは付けずにシンプルな造りにした。今回の復元に携われて光栄です」と話す。
同会では「かつては関本村でみんなから大切にされていたお地蔵さんを復元することができた。これからも地域の守り神として地域住民みんなの手で大切に祀っていきたい」と話している。
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