大河ドラマ「花燃ゆ」 楫取素彦足柄にいた
年末に向けて佳境を迎えるNHK大河ドラマ『花燃ゆ』で、人気俳優の大沢たかおさんが演じる「楫取素彦」(かとり・もとひこ)の足跡が、明治初期の足柄県(神奈川西部、伊豆半島、伊豆諸島)にあった。本編では語られない楫取の足どりを追った。
現在の山口県萩市生まれ。藩校で儒学の教鞭をとった楫取は、38歳までは「小田村伊之助」として藩主、毛利敬親に仕えていた。
1つ年下の吉田松陰と親交を深め、松陰の妹・寿(ひさ)と結婚。幕末から倒幕、明治新政府に多くの人材を輩出した松下村塾も支えた。
1856(安政3)年から翌年にかけて長州藩士として三浦半島での警備にあたった。小田村に関する資料は少ないが現在の神奈川県を訪れたのはこれが最初、との見方もある。
松陰処刑から6年後の1865(慶応元)年には、大宰府で坂本龍馬と出会い、桂小五郎(のちの木戸孝允)を引き合わせ、1866(慶応2)年の薩長同盟へと導いた。
1867(慶応3)年の大政奉還で発足した明治新政府では天皇制を支える士族の重役「参与」に就くが、ほどなく長州へ戻り、毛利敬親のもとで長州藩政を支えた。1870(明治3)年に藩政の表舞台から退き、地域開墾に汗を流した。
ドラマではその後、東山紀之演じる木戸孝允に請われ群馬県令(知事)に着任するが、実際には廃藩置県の翌年、明治5年2月に「7等出仕」(部長級)で足柄県に赴任して、明治7年7月まで参事(副知事)を務め、熊谷県令を経て明治9年に群馬県令となった。
教育と産業に注力
足柄県に在職した2年半では、明治5年の学制発布にともない小中学校開設の基金に「百円(現在の価値で百万円)」を寄付。根府川での採石事業のために有志が設立した真鶴会社にも多額の援助をしたとされる。
明治6年8月には明治天皇皇后による箱根小田原行幸啓があり、県令の柏木忠俊と奉仕、奔走した。
群馬県令だった明治14年に妻・寿を亡くすと、ドラマで井上真央さんが演じる寿の妹・美和と再婚。晩年は貴族院議員を務めた。
明治天皇の皇女、貞宮多喜子内親王が明治30年に誕生すると御養育主任となった。わずか1歳4カ月で皇女が逝去された際には療養先の酒匂村で看取り、葬儀で喪主も務めた。
小田原史談会が10月に発行した会報『小田原史談』第243号で「楫取素彦と小田原」を執筆した小田原市荻窪の郷土史家、石井敬士さん(75)は「楫取の足跡を辿ることは明治初期の小田原を研究する上で重要」と今後の研究に意欲を見せる。
![]() 明治10年代の楫取素彦提供/群馬県立歴史博物館
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