消えた『嶮山』の名を辿る 開発の波に押し流されて
あざみ野駅から西へと伸びるバス通り。秋には街路樹が色づき、通りを鮮やかに彩る。起伏のある坂道を何度か越え、あざみ野団地の先には『嶮山』という名の交差点が見えてくる。現在、その名が残されていない『嶮山』。その地名の由来を辿った。
かつて荏子田やすすき野周辺は、切り立った険しい崖だった。『兎峠(うさぎとうげ)』と呼ばれていたことからも、ウサギやムジナなどの小動物が生息する奥深い山だったことがうかがえる。また、農村から柴刈りに出かけた際、背負っていた竹籠が転げ落ちるほど急な斜面だったという記録も残る。
開発以前は『嶮山』の名は、字名として残されていたと地元住民。しかし、集落が一戸もなかったというその地名は、開発の波に押し流され消えてしまった。
廣田新聞の創設者・廣田花崖氏は、この地を取材し、『都筑のアルプス』と紹介している。また、一説によれば、王禅寺にほど近いこの山へ修験僧らが、修行に訪れたとされている。しかし、神仏を祀る祠(ほこら)などが現存しないため、その真相は定かではない。
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