明治神宮野球大会で初優勝した桐蔭横浜大学硬式野球部の監督 齊藤 博久さん つつじが丘在住 47歳
熱き魂で築いた日本一
〇…『東京六大学に勝つチームを作りたい』。故・鵜川昇前学長の思いを受け、地道なチーム作りに励んできた。「野球部の伝統、土台、基礎を俺たちが築き上げよう」―。7年前、1年生だけの1期生と掲げたスローガンは『築く』。「この優勝は今までの部員みんなで勝ち取ったもの。鵜川学長にも見せてあげたかった」。悲願の日本一は、熱き”魂”の積み重ねによるものだ。
〇…つつじが丘出身。谷本中では4番・捕手として活躍、県優勝を果たした。その後、土屋恵三郎監督率いる桐蔭野球の1期生として春の選抜へ。熱気の中、「ここで指揮を執ってみたい」。指導者への夢が芽生えた。その根底にあるのが父親の存在だ。バスケットボール選手として五輪出場し、日本代表コーチを務めた父親からは「勝負事の厳しさを学んだ」。大学卒業後、水戸短大付属高の監督として再び甲子園の土を踏んだ。
〇…『みんなよくやった。誇りに思う』。節目には、チームへ手紙をしたためる。選手への深い愛情や敬意がにじみ出る、温かい手紙だ。部員150人と大所帯だが、退部者が少ないのは、勝利よりも人間としての成長や社会貢献をチーム理念に掲げているから。「勝てないと目標を失って挫折してしまうが、この理念があるから一丸となれる」。そんな人間性に惚れ込み、信頼を寄せる選手の姿は、リーグ初優勝を遂げた09年、『監督さんを胴上げするぞ』という気合からも垣間見える。
○…全国の大舞台。初戦11月10日は自身の誕生日であり、昨年逝去した父親の命日でもある。本来なら一周忌法要で施主を務める立場だが、苦渋の思いで神宮球場へ。早朝5時。人知れず埼玉まで向かい、父親の墓石を磨いてそっと声を掛けた。「今日は行けなくてごめんな。見守ってくれ」。そんな思いに選手も気づいていたのかもしれない。名門を破り、チーム力で栄冠をつかんだ。「親父も力を貸してくれたのかな」。初心を忘れず、謙虚に突き進む。
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