パラリンピック競泳で金メダル15個を獲得し、北京大会から7年を経て現役復帰した 成田 真由美さん 横浜サクラスイミングスクール所属 44歳
諦めない、先があるから
○…最後に出場した7年前のパラリンピック以降も、鉄町の「横浜サクラ」で大好きな水泳を続けてきた。今年4月からは、再び選手として練習に励む。2020年東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会理事を昨年から務め、「パラリンピックを盛り上げたい思いが強くなった」と、復帰を決めた。
○…車椅子で生活し、水中では腕の力だけで水をかき、多い日は1日2500mを泳ぐ。堀越正之コーチが作成する練習メニューに取り組みながら「毎回同じメニューは一つもない。コーチは本当にすごい。だからついていく」と断言する。クラブとの出合いは約20年前、所属先を探していたころ。車椅子と言うと断られ続け、ようやく見つけた7カ所目が「居場所」になった。体調不良でプールに入れない時は、仲間に会うためだけに通ったことも。「それだけ大切な場所。自然と受け入れてくれる子どもたち、仲間、コーチがいる。感謝の気持ちを持って泳ぎたい」
○…中学生で脊髄炎を発症後、下半身まひになった。その後運動を再開し、23歳ごろ、練習仲間の誘いで水泳の世界に。初出場した仙台の大会で大会新記録を出した。追突事故に巻き込まれたのはその帰りだった。目が覚めると病院にいて、腕を動かそうとしたが動かない。両手にまひが残った。「足は動かないけど、私には2本の腕がある。そう思ってやってきたのに――」。それでも毎週末、遠く離れた福島県の入院先までお見舞いに来てくれた障害者水泳の仲間に支えられ、「一人じゃないんだ」と気付いた。リハビリを続けて10カ月後、開かない左手は握ったままプールで泳いだ。アトランタ大会で金メダルを獲得するのは、その後だ。
○…「諦めないこと、命の大切さ…。伝えたいことはたくさんある」。嶮山小や元石川小など青葉区の学校でも講演し、経験を話す。「たくさんの出会いに感謝」と、至る所で気さくにおしゃべりを楽しむ。
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