いぶき野1の2付近に現存する岩川堰がこのほど、21カ所目となる緑区遺産に登録された。登録を推薦した下長津田自治会の井上敏正会長は「下長津田の歴史を知って頂くきっかけになれば嬉しい」と話した。
緑区遺産は、区内に現存する有形の歴史的・自然的・文化的資源でその価値が地域に認められているものを区が登録する認定制度。これまでに20カ所が登録されてきた。
岩川では、現在の東名高速横浜町田インターチェンジ付近から湧き出る水が、岡部、中村、御前田、下長津田を流れ、恩田川に注いでいる。かつての長津田では、岩川の両側に田んぼがあり、岩川の水は周辺農地の灌漑に使用され、精米時の重労働を担う水車にも使われた。
1912年(明治45年)頃から台の水車、岡部の水車、下長津田の水車、御前田の水車が作られ、下長津田の水車はもっとも水量に恵まれていたという。
下長津田の灌漑に欠かせない岩川堰は1923年(大正12年)の関東大震災で大破したが、国や県の助成金と地元の有志が出資した工事費により、1926年(大正15年)にコンクリート堰に改修され、改修工事について岩川堰改造記念碑に記されている。
手掘りの溜池もあった
岩川堰の緑区遺産登録を推薦した下長津田自治会の井上敏正会長によると、かつて同地区では、養蚕業に並んで米の生産が主産業だった。昭和初期には、岩川からの灌漑用水の水量を安定させるために、地域住民らで溜池を手掘りで整備したという。跡地は現在いぶき野第四公園になっており、整備中の写真が今でも残っている。
井上会長は「現在田んぼの灌漑用水は、井戸水をポンプでくみ上げており、堰としての役目は既に終えている。昭和40年代の区画整理前は周辺の住宅は100軒足らずだったが、今では2000軒を超えている。遺産登録により、地域の子どもたちや新しく住民になった方が、下長津田の歴史を知って頂くきっかけになれば嬉しい」と話した。
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