8月23日、霧が丘の「ぷらっとkiricafe」での車座トークで講師を務める 佐東 由章さん 霧が丘在住 91歳
台湾で知った戦禍と平和
○…防空壕に隠れながら繰り返し聞いた「あの音」が耳にこびりついて離れない。ブゥーン、ダダダダダダダッ、ブゥーン。空から戦闘機が降下し、容赦なく弾丸を連射。また上空に飛んで行く。「隠れていたから、どこが狙われているのか分からない。怖かった。毎日のように空襲があったからね」。戦時中を台湾で過ごした自身の体験を、8月23日、霧が丘で開かれる「車座トーク」で語る。
○…熊本県出身。父親が零戦の製造に使用するアルミニウムを作る会社で働くことになり、同社がある台湾に家族で移り住んだ。自身は当時4歳。小学3年の頃に戦争が始まると、小4のときからは軍事教練として、学校で「ほふく前進」などの練習を重ねたという。戦地に赴いた父からある日、母に電報が届いた。「イザサラバ ソコクノソラヨ コイノボリ」。決死の覚悟で綴られた文面。「ああ、親父はいよいよ飛んで行くんだな」。母と共に、何度も何度も読み返した。
○…小6で終戦を迎え、中学時代に日本に帰国。復員した父と再会したのは中3のときだった。高校卒業後、昼は税理士事務所で働き、夜間には大学で商学などを学んだ。20代半ばで上京し、車の販売店に従事。住みやすさなどに惹かれて長津田に越したほか、40代後半からは霧が丘に暮らしている。健康の秘訣は「よく歩くことと、悩まないこと。これ以上悩んでもプラスが無いと思ったら、悩むのを止めることが大切です」。
○…現在は旭区若葉台を中心に活動する「戦争体験を語り継ぐ若葉の会」に所属し、地域の高校生などを前に、平和の尊さなどを伝えている。戦争の体験談は「楽しい話ではないけれど、体が元気なうちは語り継ぐ活動を続けていきたい」。
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