緑区三保町の農家に生まれた岩澤純造さん(91)。大空へ憧れ、海軍航空隊に入隊したのは14歳の時だ。「国家と家族を護る」が合言葉。「国のために死ぬことは栄誉なことだと、誰もが本気で信じていた」と当時を振り返った。航空機に乗るための教育を受ける日々。だが、戦況は次第に悪化し、練習機が飛ぶ燃料すら枯渇していく。さらに航空隊も大規模な空襲を受けるようになっていった。「心の底では、負けることは分かっていた」。本土決戦も間近に迫っていると心の中では悟っていた。
そんななかで、上層部から次の言葉を投げかけられる。「難局を勝ち抜くためには、君ら、若者たちの力が必要だ。おまえらの命を俺に預けてくれ」。その言葉が”特攻で死んでくれ”と同義であることはすぐに理解できた。「怖さは当然あった。だけど、それを打ち消す信念があった。そう言われるのならば、国のために死んでやろう」
共に学んだ仲間たちは特攻で次々と命を落としていった。そして、岩澤さんに、新たな任務が与えられる。「伏龍特攻隊」への入隊。潜水服で海へと潜り、竹竿の先に機雷を付け、敵の船底を突き上げて自爆する。それが、敵の上陸を水際で食い止めるため、最後の切り札として考え出された隊の使命だった。
練習中に死亡する事故も多発していた。「練習で死ぬ覚悟もしていた。海の中は、暗く、とてつもない孤独感に襲われた」と顔をしかめた。
「命の使い捨ては嫌だ」と泣き叫び、海へ潜ることを拒否する下級生もいた。特攻の直前に終戦を迎えた岩澤さん。「戦争は勝っても、負けても平和は訪れない。戦争だけは、絶対にしてはいけない」。今、それが一番後世へと伝えたいメッセージだという。
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