港北区スポーツ推進委員連絡協議会の会長に就任した 小松 賢吉さん 新羽町在住 58歳
”顔がわかる”関係を大事に
○…今年度、港北区スポーツ推進連絡協議会会長に就任。99年の体育指導委員着任から約20年活動してきた。「日本の底力は地域コミュニティの力。スポーツ振興を通して地域にとって大切な『共助』の精神を醸成していければ」と語る。
○…実は、子どもの頃からの難聴者。「合う補聴器がなく、今は基本的に、相手の言葉が聞こえないんですよ」。明るく滑らかに話す口調からは想像できないが、通常は口元の動きで相手の言葉を推測し、どうしてもわからないときは筆談だという。各会議の場でも、周囲が筆談などでフォローしてくれるため、背伸びせずありのままの自分で職務を遂行。「できない自分をさらけ出し、恥をかくことで、周囲の方のサポートもいただきながら、健常者と障害者が共生できる環境を作ることができれば」
○…「スポーツ推進委員」は各町会に1人置かれ、地域行事である運動会(健民祭)や盆踊り大会、駅伝大会などの企画運営を行う。町会活動に関わろうと思ったきっかけは、95年の阪神淡路大震災。横浜と神戸が共通点の多い街であることが「他人事ではない」という意識につながった。当時、子どもも小さかったが自分は近所に顔見知りがいない状況。何か災害が起きた時、助け合うには日頃からの関わりが必要と町会活動に飛び込んだ。
◯…小3からボーイスカウトに参加。自然・田舎が大好き。趣味の自転車では、息子と毎年夏休みに10年かけて、北海道を一周した。中学から玉川学園に進学。同学園モットー「人生の最も苦しい いやな辛い損な場面を真っ先きに微笑みを以って担当せよ」を今も胸に刻む。教員免許も取得したが教師や教育への夢は叶わず、しかし現職の横浜市交通局ではコンピューターの導入から携わり「非常にやりがいのある仕事」とどこまでも前向き。この明るい笑顔が周囲を巻き込み、今の人望を形づくっている様子を垣間見た気がした。
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