空襲から子どもたちを守るため、学童疎開が1944年8月から始まった。受け入れ先の多くが寺院で、茅ケ崎東の正覚寺(八木廣純住職)もその一つだった。
子安国民学校の3年生から6年生の約40人が、現在改築のため、解体された本堂で生活した。疎開先に割り当てられた同寺では、防空壕や井戸を掘り、児童らを迎えた。当時大学生だった先代の八木良純住職は、児童らに慕われ、終戦から30年後、当時の児童らが感謝の気持ちを込め「心のふる里ここにありき」と記した記念碑を寄贈した。
現都筑区の寺院では同寺のほかに最乗寺、自性院、瑞雲寺、妙蓮寺、福聚院でも児童を受け入れている。
参考資料/「横浜市の学童疎開」
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