神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
都筑区版 公開:2024年8月15日 エリアトップへ

「悪い人などいなかった」 南山田・河井信子さん

社会

公開:2024年8月15日

  • X
  • LINE
  • hatena
「悪い人などいなかった」

 現在、南山田に住む河井信子さんは1931年、豊島区雑司ヶ谷の鬼子母神堂の近くで生まれた。父が警察官だった関係で、南千住、神田、丸の内など都内を毎年のように移り住んだ。

 神田に住んでいた頃、初めて飛行機が編隊で飛ぶのを見た。「『あっ、飛行機だ!』って喜んで見ていました。今思えば偵察機だったのかも」と振り返る。

 戦争の足音が近づいてきたと感じたのは41年。警察の体制が変わり、都内を東西南北の4ブロックに分け、河井さんの父は大森、鎌田、品川などをエリアとする南部の担当となり、大森へ移り住んだ。この年の12月8日、真珠湾攻撃で太平洋戦争が開戦となった。

不気味な照明弾

 女学校に入学し、大森から市ヶ谷まで通学していた。英語の授業は、「敵性語」だとしてすぐに中止になった。「ディス・イズ・ア・ペンしか習わなかった」と笑う。当時、有識者の中には、敵を知るために英語の授業や使用を禁止せず、習わせた方が良いという意見もあったが、大勢ではなかった。「後から知りましたが、今から思うと、そういう意見もあるなと感じます」

 小柄な体格の河井さんは、「周りの人が親切だったおかげで生き残れたようなもの」と感謝する。通学途中の東京駅で空襲警報が鳴り、逃げ惑う人の中で、見ず知らずの人が手を引いて地下鉄の構内へ誘導して助けてくれた。母の実家のある山梨に疎開していた弟妹らに物資を届ける際には、河井さんをひょいと持ち上げ、混んでいる電車の窓から乗せてくれる人もいた。山梨から大森まで帰る途中、駅が空襲に遭い、新宿の手前で電車が止まってしまい、大森まで帰れなくなった時は、乗り換え線まで歩いて連れて行ってくれた人もいたという。「小柄だったので子どもだと思われたのかもしれませんが、世の中、本当に悪い人などいないのだなと感じました」と当時を思い出す。

 何もかもが見渡せ 「透き通るように明るい」と感じた照明弾は、その明るさに加え、ひらひらと舞い落ちてくる姿に不気味さを感じ、恐怖を覚えたという。

 対岸の向島を火の海にした東京大空襲。何日もしないうちに大森にも爆弾の雨が降った。火の中を逃げ惑った。「逃げた場所が数mずれていたら…よくぞ生き残ったと思う」。爆弾が落ちた衝撃で大森駅前にはすり鉢状の穴が開いていた。

 肝臓がんを患っていた父が終戦前に亡くなり、河井さんも山梨へ。甲府が近かったこともあり、上空を何度も飛行機の編隊が飛んでいったという。「(戦争当時の話を)人にするのは初めて。今の子どもたちに同じ思いはさせたくない」

都筑区版のローカルニュース最新6

不要な子ども服を交換

不要な子ども服を交換

9月30日から

9月11日

県内高校生が自作コマで火花散らす「コマ大戦横浜場所」

女性起業家の商品・サービス一堂に

女性起業家の商品・サービス一堂に

市役所で展示会

9月10日

セン南で、今年も

セン南で、今年も

14日、秋まつり・地蔵まつり

9月10日

「一日区長」に須藤選手

区制30周年

「一日区長」に須藤選手

ビーコルが盛り上げに一役

9月9日

横浜市内 お月見スポット「日本百名月」の大さん橋と横溝屋敷

横浜市内 お月見スポット「日本百名月」の大さん橋と横溝屋敷

中秋の名月は9月17日、夜景情報発信団体が認定

9月9日

横浜労災病院(045-474-8111)

市民公開講座「大腸がんの予防と最新外科治療」9月25日 申込不要・参加無料

https://www.yokohamah.johas.go.jp/

<PR>

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 7月11日0:00更新

  • 7月4日0:00更新

  • 3月28日0:00更新

都筑区版のあっとほーむデスク一覧へ

コラム一覧へ

都筑区版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2024年9月11日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook