1938年、日中戦争の始まった年に都田小学校へ入学。当時の体験から「戦争はだめ、二度と起こしてはならない」と強く語る。
戦争に染まる少年時代
竹やりを持って小学校へ登校し、訓練や軍国教育など勝つための教育を受けた。「『戦争は嫌』と言ったら非国民になるし、負けるなんて一瞬も思わなかった」と振り返る。「先生の中には戦争が嫌だという人もいたけど児童から非難されていた、教育によって子どもの方がすっかり戦争に染まっていたな」
印象深い出来事は南京が陥落した日。勝利を祝い学校でキャラメルが配られた。「嬉しかった、『勝ったぞー』とみんなで喜んだね」。終戦間際には、川和や池辺の軍事工場に動員された。「お国のために」と必死になって石炭取りなどの仕事をした。友達と遊ぶとなれば戦争ごっこ。戦争一色の少年時代だった。
厳しい戦禍も信じる勝利
自身も家族も戦地には行かなかったが、地域の人が出征するとなれば小机駅まで砂利が続く道を歩いた。ちぎれるほどに旗を振り、露営(ろえい)の歌「勝ってくるぞと勇ましく」で見送った。
長谷川さんが15歳の8月15日、勝つと信じて疑わなかった戦争が終わった。「この野郎」と悔しさがにじんだ。一方で、ためらうことなく灯りをともして生活できる喜びを感じ、ゆっくりと平和のありがたみを噛みしめていた。
「ちょっとした火種で始まった戦争によって、優秀な先輩方が亡くなってしまった。二度と戦争は起こしてはいけない。子どもたちに戦争を教える教育ではなく、平和を教える教育であるべきだ」と力を込めた。
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