横浜鶴ヶ峰病院の病院長を務める 武藤 治さん 都筑区在住 45歳
時代を見据え取り組む
○…「真の意味で地域に開かれた病院をつくり上げることに尽力していきたい」。改めて、病院長としての思いを口にする。これまでの「病院で待っている医療」だけではなく、「訪問、看護、講演など、これからは地域の皆さんの所へ行く医療にも取り組みたい」と意気込みを語る。
○…小田原生まれの逗子育ち。小学生のころは地域で盛んだったソフトボールに熱中していた。「スポーツは好きだけど、上手い子には勝てない」と考え、そのころから「それならスポーツ選手を治す人になりたい」と早くも医師の夢を持つように。小学校を卒業後、神奈川区にある中高一貫の名門男子校・浅野中学高校へ。「本当は野球部に入ろうと思っていたんだけど」。6年間所属したのは柔道部。「顧問だった、担任の先生に誘われてね」。厳しい練習の毎日に「どこで手を抜くかを考えていた」と冗談交じりに話す。
○…高校3年生の夏まで部活を続け、そこからは受験勉強に集中。「医者になりたい」。幼いころに抱いた夢がかない、順天堂大学に合格した。学生生活で思い出に残るのは「1年生の時の寮生活」。スポーツ推薦で入学した同級生たちも多く、「トップアスリートたちのプロ意識に刺激を受けました」。国家試験を乗り越えられたのも「共に支え合う仲間がいたから」と懐かしむ。
○…妻と息子3人の5人家族。週末は小学3年生の息子も所属する野球チームの監督を務める。「上の息子の時から6年ぐらい練習を見に行っていたら、『監督に』と誘われてね」と笑顔を見せる。病院も野球も「時代に合った、それと少し先取った指導や取り組みが大事ですね」。忙しい日々が続く中、病院長と監督の”二刀流”で突き進んでいく。
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