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旭区・瀬谷区 社会

公開日:2023.09.28

二俣川
新旧の個性が共存するまち

  • 上空から見た二俣川駅周辺(写真提供:泉区在住・中丸定昭さん2018年4月16日撮影)

 駅周辺の再開発や都市計画道路の開通、JR線、東急線の乗り入れなど、新しい表情を少しずつ見せ続ける二俣川エリア。

 新しいお店のオープンや地元のお祭りが行われるこの時期。二俣川を満喫してみてはいかがでしょう。

帷子川の支流

 ジョイナステラス3のオープンで、横浜市内西部エリアで最大級の商業施設を抱えることになった「二俣川」。かつての「二俣川村」は、東は区役所のあたりから、西は厚木街道の三ツ境陸橋、北は今宿、南は戸塚区、泉区、瀬谷区と接する約9・3平方キロメートルと広かった。

 地名の由来となった「二俣川」は、相鉄本線の鶴ヶ峰駅付近で帷子川に合流する。川は1989年の駅の改良に伴い、暗渠化されている。

 「二俣川駅」が開業したのは、1926年5月。神中鉄道(のちに相模鉄道と合併)が厚木〜二俣川間で開業し、東の起終点駅となった。1933年には二俣川駅と鶴ヶ峰駅の間に「二俣下川」駅が存在していたが、戦時中の1944年に休止、1960年に廃止となっている。

 駅舎は2018年12月、現在の形にリニューアル。駅南口の再開発地区の「ジョイナステラス二俣川」が入る商業棟や住宅棟からなる大規模複合拠点がオープンしたのはこの年の4月だった。

県民一度は?

 「二俣川」と言えば「免許センター」という人も多いはず。かつて市内に2カ所あった運転免許試験場を統廃合して二俣川に設置されたのは1963年。二俣川の県有地の利活用計画による整備の下、2018年に現地に移転した。

 今年3月に一部開通した二俣川駅南口の「鴨居上飯田線」。残り約600mほどは、現在も用地買収が済んだ場所から工事が進められている。全線の開通時期は未定。

大河で再脚光

 昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で話題となった畠山重忠の終焉の地とされるのも二俣川。有志の手で「畠山重忠公遺烈碑」が建立されている。かつて「牧が原」と言われた場所は、北条勢が数万騎で陣を構えたことから「万騎が原」になったとも伝えられている。

〈参考資料/相模鉄道 街と鉄道の歴史探訪、二俣川の歴史〉

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