能登半島地震の救助支援のため、神奈川県大隊の一員として、旭消防にも出動要請がかかっている。1次隊の市沢に続き、2・3次では、都岡消防出張所の隊員らが被災地へ向かった。
復旧活動支える
1月12日から17日の予定で、石川県に向かった第2次派遣隊には、都岡消防出張所の古屋裕樹所長(42・白根在住)が、後方支援隊のサブリーダーとして参加した。古屋さんは2021年に発生した熱海の土砂災害時、静岡県庁に詰め、全国の大隊を統括する神奈川県大隊の指揮隊隊員として、活動した経験を持つ。
後方支援隊は、生活用品や燃料、資機材など、隊員らが被災地で活動するために必要な物資の輸送・補給および情報収集・広報活動を行う部隊。災害派遣の際、神奈川県では1〜3次の隊や役割は、年度当初に計画が決まっており、古屋さんも役割に応じての出動となった。
1月9日に横浜を出発した1次隊は、日没後の暗い中で約300人の県大隊のため、宿営地でのテント張りとなったが、2次隊は1次隊が張ったテントをそのまま使うことができた。「1次隊は全く知らない土地で、状況把握だけでも相当時間がかかったと思う。加えて、日没後の暗い中でテントを張るのは相当大変だったのでは」と宿営地に到着して、古屋さんは改めて仲間の苦労を慮った。
水・トイレ・降雪
宿営地は整備されていたものの、トイレや資機材を洗うための水など、生活用水を中心とした水回りの整備が軌道に乗っていない状態だった。
後方支援隊では、水回りを整備することで、現場で隊員らの活動時間が伸ばせることから、新潟県にある簡易の仮設トイレを取り扱う業者に依頼をかけ、トイレの設置を行った。食材は、現地調達ができないため、在庫管理に細心の注意を払った。
寒さや衛生環境が心配される中、新型コロナやインフルエンザの感染拡大の懸念もあったが、「皆自発的にアルコール消毒をするなど、出来る限りの感染対策を施していた」と隊員らの意識の高さを称えた。
一方で期間中は「少し気を抜くとすぐに10cm位積もってしまう」ほどの大雪に悩まされた。凍結防止剤なども持参したが、雪慣れしていないこともあり、撒き方などが上手くなく、夜が明けると雪の重みでテントが押し潰されていることもあったという。
後を託す3次隊には、同じ都岡出張所の隊員らが加わっていることは事前に判っており、「到着した彼らと顔を合わせた時は思わずホッとした」と笑みをたたえた。
道なき道での捜索
1月15日から20日の日程で出動した県大隊の第3次派遣隊には、救助小隊として都岡出張所から金子裕宣隊長(40・相模原市在住)、森飛翔(つばさ)隊員(32・都筑区在住)、松本健作隊員(29・南区在住)、秋元漱太隊員(26・神奈川区在住)小山帝河隊員(25・さちが丘在住)の5人が参加した。
県大隊は1次、2次同様、輪島市町野町で、山崩れによる土砂のため家屋と一緒に流された行方不明者の捜索活動に当たった。
新潟県中越地震(2004年)と北海道胆振東部地震(2018年)で災害現場の出動経験を持つ金子さんは「どちらも土砂崩れによる被害が共通する地震。現場は車で近づけないため、途中から徒歩で2時間以上かけて行かなければならない場所のため、効果的な資機材の選定などで、これまでの経験が生きた」と話す。
一方、小山さんは初めての災害現場に、普段の訓練とは違う戸惑いも覚えたという。「訓練には時間をかけており活動に自信はあったが、土砂の影響で道のない中、降雪も加わり、訓練とは全く違った。防寒対策なども万全を期したつもりだったが、管内に山間部を含む相模原隊などの方が一日の長があったように思う」と振り返った。
現地に到着した16日の夕方には震度5弱の、19日には早朝に震度4の地震が能登地方を襲うなど、大小含め、余震は絶え間なく続いていた。
土砂崩れの現場は2次災害の危険性をはらみながらの活動。活動中も「ゴーッ」という不気味な地鳴りとともに揺れが襲ったという。金子さんは「余震による更なる土砂災害が起きた場合の判断の難しさを改めて痛感した」と振り返った。
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