大橋 秀行さん 新春インタビュー 元WBA・WBC世界ミニマム級王者日本プロボクシング協会会長 「世間への知名度、さらに高めたい」
横浜で生まれ育ち、市内の小・中・高校を卒業したプロボクシング元世界王者の大橋秀行さん(48)。現役引退後は経営者として、神奈川区に「大橋ボクシングジム」を設立。これまで3人の世界王者を輩出し、指導者として活躍するほか、日本プロボクシング協会の会長として競技の発展にも力を注ぐ。日本のボクシング界を牽引する男が見据える未来、地元横浜への思いを聞いた。
――昨年は八重樫東選手(旭区在住)、井上尚弥選手(座間市在住)など大橋ジムの選手が大活躍でした。
「12月の両選手の試合は期待とプレッシャーが大きく、これまでの指導歴で一番疲れた。全員が勝ち、ジムとしてはいい形で1年を締め括ることができた」
――昨年のボクシング界を振り返ってください。
「一昨年に八重樫と戦った井岡一翔選手(世界ライトフライ級王者)をはじめ、実力者揃いの”本物の時代”になった。ロンドン五輪金メダリストの村田諒太選手もプロ転向し、試合がゴールデンタイムにテレビ中継されることも多い。しかし地方に行くと、いまだ多くの現役チャンピオンが知られていない。世間一般への知名度を、さらに高めていきたい」
女子やジュニア世代強化
――2007年に東日本、10年に日本プロボクシング協会長に就任し女子のプロ化などを進めました。
「(女子プロボクシング解禁から)約6年になるが、まだまだ周知されていない。ダイエットなどを目的にする人はいるが、選手を志す人が少ないのが現状。ただ『なでしこジャパン』のように女子は一発で(男子を)逆転する力も持っている。女子は選手寿命が長い傾向があり、プロとしての定年(現在は37歳)を引き上げることなども検討している」
――ジュニアボクシング全国大会も実施しました。
「ボクシングに限らずスポーツは幼いころに始めることが競技全体のレベルアップに向けて大切。大会を通して若い世代が実力をつけてきていると感じる」
――長く横浜で生活されています。
「南区で生まれ、幼い頃に羽沢(神奈川区)に転居し、保土ケ谷中に通った。海外に遠征することも多いが、横浜に戻るとほっとする。都内にもすぐに行けるし、大好きなまち。横浜にジムを作ると決めていた」
――ボクシングの名門校・横浜高校での思い出は。
「中学3年の時にプロボクサーとスパーリングをやって勝っていたので、自信満々でボクシング部に入部したが、上級生のレベルが高くてびっくりした。高校2年の時にインターハイで優勝したが、その後、沖縄県の選手に敗れ、悔しさからその選手に勝つために、今までで一番の練習を自らに課した。高校時代の充実した3年間とライバルの存在があったから、後に世界王者になれたと思う」
――地元で印象に残っているエピソードは。
「自分が世界チャンピオンになった翌日に自宅近くの上星川駅(保土ケ谷区)から電車でジムに向かう途中でファンに囲まれ、駅が大混乱になり電車が止まってしまった。それから新聞記者たちがチャンピオンになったお祝いに、横浜の島屋で買った革のコートをプレゼントしてくれて嬉しかった思い出がある」
ジム開設20年の節目
――今年でジム開設から20年になります。
「まだまだこれからという感じ。ボクシングで培った精神力は人生につながる部分がある。現役を引退した選手がその後、社会に出て一般企業で成功していたりする。今までやってきたことに誇りを持って、ほかの分野で”チャンピオン”になっているのが嬉しい」
――最後に今年の抱負を。
「2020年に東京で五輪が開催されることを見据え、若い世代のさらなる強化に着手していきたい。大橋ジムでは、昨年以上にビッグマッチが増える大事な年。八重樫は今まで以上の強敵との試合が、井上は日本人最速(6戦目)での世界王座奪取に向けた年になる。井上には、私や八重樫が成し遂げられなかった(いずれも当時の日本人最速で世界王座挑戦も失敗)夢を実現させてほしい」
■プロフィール/1965年、横浜市南区生まれ。横浜高校卒業。85年にプロデビュー後、90年にWBC世界ミニマム級王座を獲得。王座陥落後に再起し、92年にWBA世界同級王座を獲得した。戦績19勝(12KO)5敗。幾多の敗戦を乗り越え王座を獲得したことから「フェニックス(不死鳥)」の異名を持つ。
![]() 現役時代手にした2本のベルト。横浜にジムを構え20年。「このまちが大好き」
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