松陽高校の校長室を出ると、バスケットボール部が手にしてきた輝かしい賞状の数々が廊下に並べられている。初代顧問を務めたのは松陽高校校歌の作詞も手掛けた松下滋さん。バトンを受け継ぎ、一時代をけん引したのが当時23歳で体育教師として着任した阿部哲也さん(71歳)だった。
「スポーツは楽しくないといけない。楽しいから頑張れて、上手くなる。根源は楽しさ」。そう言いながらも、「みんなよくあの合宿を乗り切ったよな」と微笑む。
人気漫画のモデルにも
当時、神奈川の男子バスケは相模工業大学附属高(現・湘南工科大附属高)が王者に君臨。阿部さんは就任3年目に関東、4年目に全国出場を果たすと、相工大との2強時代を築いた。
それは後に人気漫画「スラムダンク」に登場する強豪「海南大附属高」と「翔陽高」のモデルになったともいわれている。「作者の方に聞いたわけではないけれど、ユニフォームの『SHOYO』ロゴを見てもあれは松陽じゃないかな」と阿部さん。85年には県を制し、通算で7度の全国大会出場を果たした。「部員がよくやってくれたのはもちろん、保護者の手厚い支援のおかげ」
互いの信頼関係
自身は都立大森高、日体大とバスケを続け、高校時代は都でベスト8に。また高校の同学年には後に富岡高・金沢総合高の女子バスケ部を何度も全国に導いた星澤純一さんがいたため、指導者としても切磋琢磨した。
「技術がないのは練習しかないし、技術が伸びなのは指導者の責任。ただそれは選手がうまくなりたい気持ちをもっているのが前提」と阿部さん。「諦めない気持ちをもつことには厳しかった。やればできるんだと感じてもらいたくて」
松陽高では16年に渡って指導を続けた。「初任校で思い入れもある。どの部活も活気があり、今振り返っても楽しい日々」と笑顔で語った。
泉区版のローカルニュース最新6件
|
|
|
|
|
|
|
<PR>