東泉寺(下飯田町743)の歴史は豊臣秀吉による小田原攻め(天正18年/1590年)にさかのぼる。この時、東国を領した徳川家康の旗本・筧為春(かけひ・ためはる)が下飯田町に建立したのが同寺という。
創建の年月日は不明だが、「おそらく小田原攻めから間もない時期でしょう」と同寺の第28代・関水俊道住職(71歳)。また同寺には薬師堂があるが、これは鎌倉時代に寺周辺を治めていた飯田五郎家義が信仰していたのが移転されたものという。
山門前には「かまくら上之道」が通っている。古くから足利氏ゆかりの群馬方面と鎌倉を結ぶ通りで、同時期の史跡も多く残されている。
「安らぎと生きる力を」――。同寺ではそんな言葉を掲げている。
戦争により「期せず」
関水家は現住職の祖父の代から東泉寺を守る。俊道住職の父は次男だったが、長男が戦争で命を落としたため、予期せず寺を継ぐことになったという。俊道住職は小学校の教諭などを経て、40歳の時に父を継いだ。
地域史に詳しく、泉区制10周年を記念して発行された「いずみいまむかし―泉区小史―」の編集委員も務めた俊道住職。「飯の田んぼというくらいなので境川に近いこの地域では作物が豊かだった。飢饉の時にも蓄えがあったようです」
地域に開かれた寺に
曹洞宗は環境保全をスローガンの1つにしていることもあり、同寺では「東泉寺グリーンプラン」(TGP)として、墓地清掃、緑化活動、プランター整備に取り組んでいる。特徴的なのはそのどれもが地域住民による活動という点だ。
「植栽の管理もお世話になっている。皆さんに『自分たちのお寺』という意識を持って頂いている」と俊道住職。「地域に開いたお寺であれたら」と笑顔で語る。
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