100年前の1923(大正12)年9月1日午前11時58分、マグニチュード7・9と推定される大地震が関東地方を襲った。被害は死者10万5385人、全壊全焼流出家屋は29万3387戸にのぼった。
当時の横浜市域(現在の中区・西区など)の被害は、9万9840世帯のうち全焼が6万2608、全壊が9800、半壊が1万732など。約95%の世帯で被害を受けた。人的被害も甚大で、当時の人口44万2600人のうち死者は2万1384人、行方不明1951人、重傷3114人など41万2247人が影響を受けた(神奈川県統計書昭和5年より)。
横浜市震災誌第一冊によると「突然どこからか遠雷のような地響きがしてきたと思う間もなく大地は大波のように揺れ始め(中略)、表に逃げ出した時、全て地上の物が破壊されてしまった」と地震直後を表現している。火災に関して、「市内の数十カ所からほとんど一斉に発火(中略)、早いものは直後、遅いのは1時間くらいして発火し、市内至るところに黒煙がゴウゴウと立ち上った」と記されている。
村内で腸チフスが流行
泉区(当時は中和田村など)も被害は甚大で、戸塚区史(91年発行)には8割以上の家屋が全壊・半壊し死者は12人、傷者が17人だったと記されている。農業関係の被害は田畑、宅地、山林など土地の損害額は5万円余り、商工業では3つの製糸工場で150万円と多大な損害額となった。
同村内では腸チフスが流行し、当時の人口約5500人の2%にあたる累計113人が罹患。終息したのは半年後の翌24年2月14日だった。
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