阪神甲子園球場で8月23日に決勝戦を迎えて幕を閉じた第105回全国高校野球選手権記念大会。神奈川代表の慶應義塾高校が107年ぶりの優勝に輝いたが、ひときわ注目を集めたのが一番打者を務めた丸田湊斗選手(3年)だ。中学時代は硬式の横浜泉中央ボーイズに所属していた丸田選手。当時のチーム関係者たちはその成長した姿に喜びをかみしめている。
「プリンスなのは中学の時から」
丸田選手に注目が集まり始めたのは今夏の神奈川大会。プロ野球でも活躍した清原和博さんの次男・勝児選手(慶應高2年)にメディアの注目が集まる中、勝児選手と丸田選手のツーショットがSNS上で話題に。丸田選手はその端正な顔立ちと高校球児には珍しい色白なルックスから「美白王子」や「慶應のプリンス」として一躍人気を集めるようになった。
だが丸田選手は大会通算打率が4割を超えるなど、試合中のプレーで重圧を乗り越えていった。
「最初に会ったのは小学6年の終わり頃。色白のかわいい男の子で、大丈夫かなと思っていたけど、走らせれば俊足、投げさせれば強肩、打たせれば長打。すでに三拍子揃っていましたね」。そう振り返るのは横浜泉中央ボーイズ(泉中央B)の宇野和之監督だ。
小学校時代は戸塚区の南舞岡スカイラークスに所属していた丸田選手。日限山中学校(港南区)に入学する直前に、練習を体験しに泉中央Bのグラウンドを訪れた。
シャイでクールに「さらっとこなす」
「頭も良くて、当時からプリンスでしたよ」と宇野監督。「なんでもさらっとこなすんです。ファインプレーをしてベンチの仲間が盛り上がっていても、一人涼しげに。でも仲間からはいじられてもいました」
中学では2年時からレギュラーの座を掴んだ。泉中央Bの羽太健一会長は「当時はショート。投手が投げる時には次の動きの準備をしていました。捕手のグローブの位置も見ながら」とプレーを振り返る。丸田選手は2年夏には全国大会出場を経験。3年春の大会も出場権を得たがコロナで中止になってしまった。
高校では当初、野球を続けないつもりだったという。成績もよかったため、県内の公立進学校を視野に入れていたが、「辞めてしまうのはもったいない、強豪校でも通用するよと。そうしたら、通学時間も考えて推薦で慶應高を受けたんです。学校の成績も申し分なかったので」。
大舞台での先頭打者本塁打
今夏、慶應高が全国の舞台を勝ち進むにつれ、丸田選手の注目度も急上昇。そんな中で迎えた決勝の相手は昨年の優勝校・仙台育英高。ただならぬ重圧の中、一番打者の丸田選手は開始早々の初回に本塁打を放ってみせ、チームやスタンドの応援団も勢いづけた。
夏の甲子園決勝での先頭打者本塁打は史上初。また丸田選手個人としても、本塁打自体が高校の公式戦で初だった。テレビ越しに観戦していた宇野監督は「全国から注目される中での大舞台で、いきなりホームラン。ゾクゾクしましたね。丸田、こんなことやり遂げちゃうの?って」と笑みをこぼす。
また「2打席目のタイムリーが彼らしい。1打席目はスライダーをホームランにしたから、今度はストレートが来るだろうと狙い打ち」とプレーの見事さに目を細めた。
中学時代にヘッドコーチとして指導に携わった帯川祐二さんは「今大会では走塁も光っていた。足が速いのはもちろん、状況を読む力に長けている。三塁への盗塁は特に投手の動きやくせを読むのが重要。そのあたりの感性や感覚は中学の頃から素晴らしく、高校でさらに伸ばしてもらったんだと思います」と教え子の成長を喜んだ。
「エンジョイ」は努力の先に
宇野監督はテレビ越しに、優勝して涙を流す丸田選手を見守っていた。「高校生が優勝して泣くなんていうのは、よっぽど練習で苦しい思いをしてきたから。しかも、あのシャイでクールな丸田が人目もはばからずなんて。エンジョイベースボールという言葉は誤解されがちだけど、十分すぎる努力をしてきたから、あとは楽しもうということだと思う」
帯川コーチは「ガッツポーズで表現しているのを見て、信頼できる仲間たちと野球ができているのが伝わりました。これだけ多くの人を感動させられるというのは素晴らしいとしか言えない。一緒にやれたことがうれしいですね」と称えた。
丸田選手はU-18(18歳以下)の日本代表メンバーにも選抜され、なおも多忙な日々を送る。後輩にあたる現在の中学生メンバーに宇野監督は「いい目標ができた、みんな丸田を目指せばいい。ただ丸田も一朝一夕にあんな選手になったわけじゃない。だから日頃からの努力が必要だと言って聞かせています」。また輝く教え子には「とにかく怪我なく。そればかりですね」と思いやった。
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