とつか歴史探訪 ■〜旧東海道・戸塚宿を訪ねる〜第66話 〜旅は命がけ・投込塚跡〜
保土ヶ谷方面から旧東海道の権太坂を上り切り、境木中学校に突き当たって右に100m程行くと境木の立場(宿場間に設けられた休息の場)です。境木立場は日本橋から戸塚宿までの10里半(約42Km)を一日で歩く旅人にとって、権太坂の急坂を上り終えて休息するのに絶好の場所でした。約1・3Kmの権太坂は箱根に次ぐ難所であり、馬に積んだ荷物を降ろさなければとても上れないほどであったといわれます。戸塚宿からも品濃坂、焼餅坂という難所を越え、眺めの良い一息したい場所だったようです。
この境木立場を左に150m程下ると投込塚があります。難所の権太坂で体調を壊して死亡した人馬、あるいは他で亡くなった遺骨も集められ埋められた場所だったのかも知れません。昭和36年(1961)の宅地開発の際、ワラ袋に14俵半ほどの遺骨が発掘されました。これらの遺骨は平戸町の東福寺に手厚く葬られています。
現在、投込塚には供養碑が建てられ、その右側の古い石塔には、「無縁法界三界萬霊 馬頭観世音菩薩」とあり、この石塔が当初からあった石塔だったと思われます。また碑の左横には宝永7年(1710)の庚申塔と天保2年(1831)の観音像も佇んでいます。投込塚跡は綺麗に手入れされ、絶えず新しい花束が添えられています。
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