第80話〜大名行列も礼を払った清源院〜 とつか歴史探訪
南向山清源院はその名の如く東海道に面し南向きの高台にあり、街道からもよく見える浄土宗の寺院です。もと、源頼朝の家臣の草創で長円寺と称されましたが、戦国時代に廃絶していました。いま、整備された広い庭に一歩足を踏み入れると、本堂の屋根や正面に三つ葉葵の御紋が目に飛び込んできます。そのため、大名行列の一行も寺院に向け立てていた毛槍を横にして表敬したと言われます。
元和2年(1616)徳川家康の側室であった於万の方は、40歳を過ぎて岡津の代官彦坂小刑部元正に預けられ閑居していましたが、駿府城で家康が病の床に伏しているとの知らせを受け見舞いに駆けつけました。家康は喜び後白河法皇勅願の"阿弥陀如来像"を於万の方に授けました、この仏像安置のために建てられた寺は開基である於万の方の法号である「清源院」と呼ばれました。以来、三つ葉葵の御紋を使用し江戸時代には寺前に下馬札を立て格式を持っていました。像は口をわずかに開けて上歯が見えるところから「歯吹阿弥陀如来像」と呼ばれる高さ66cmの立像です。寺の墓地最上部には、"於万の方火葬の跡の碑"安政5年(1858)があります。
境内には芭蕉句碑や、添い遂げられず井戸に身投げした若い男女を供養した珍しい心中句碑などがあります。平成29年に寺は綺麗に大改修され、現在は戸塚七福神の毘沙門天を祀り、正月には多くの参拝者で賑わっています。
〈神奈川県後期高齢者医療広域連合からお知らせ〉【75歳以上の方が対象】いざ、健康診査へ!今こそ自分の身体を見つめなおす時 |
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