第85話 山岳信仰碑2〜出羽三山供養碑〜 とつか歴史探訪
日本で高い山、秀麗な山に登ると、山頂には決まって神社や祠があります。古来より山には神霊が宿ると信じられていました。中世以来「修験道(しゅげんどう)」といって、山伏や修験者が山の霊力を得るため、山で修行をしました。日本各地に多くの人が登拝する「霊山」と呼ばれる山があり、江戸時代には一般の人の参拝も盛んになりました。
出羽三山は月山、羽黒山、湯殿山の総称で、古くから東北地方の霊山として、各地から多くの人が登拝しました。現在の祭神は月山が月読命(つくよみのみこと)、羽黒山が倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、湯殿山が大山祇命(おおやまつみのみこと)ほか二神となっていますが、江戸時代以前は、神は仏・菩薩(本地仏)が人々を救うため権(かり)の姿でこの世に現れたものとする神仏習合の考えから、月山大権現、羽黒山大権現、湯殿山大権現と呼ばれ、それぞれ阿弥陀如来、聖観音菩薩、大日如来が本地仏とされていました。
戸塚も出羽三山信仰が盛んで、各所に「出羽三山供養塔」が残っています。たいていは道標を兼ねており、主要な道路の道筋や辻などに建てられました。上倉田南バス停近くの供養塔には「右かまくら道」と彫られており、小雀バス停横石仏群中の供養塔には「右とつか道」、「左ふじさわ道」とあります。大運寺向かいの供養塔には右面に「東かまくら、南ふじ沢」、左面に「西大山道、北星や道」と刻されており、元は原宿交差点にありました。
遠い出羽の地への参詣を思い、旅の安全への祈りが籠められているように感じられます。
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