第97話 龍馬が駆けた浦賀道 とつか歴史探訪
「(龍馬は)足のつづくかぎり浦賀街道を南にむかって駆けた。・・・浦賀についたのは、翌々日の未明である。・・・やがて、夜が明けた。濃紺の海に巨大な軍艦が四艘うかんでいた・・・」
司馬遼太郎の名作「龍馬がゆく」の一節です。黒船来航時の見物人や混乱が目に浮かびます。
これが浦賀道ですが、実は浦賀道は西の戸塚宿からの道と東の保土ケ谷宿からの2本あり、小説のルートは残念ながら海沿いの保土ケ谷ルートと思われます。
享保5年(1720)、江戸湾防備のために伊豆下田から浦賀へ奉行所が移されると、江戸と浦賀間の人や馬の往来が盛んになったことから、三浦半島の浦賀に至る東西2本の道が作られました。
戸塚宿を起点とした西ルートは八坂神社脇の交差点から高島橋を渡り、吉田大橋から鎌倉に向かう戸塚道に入り笠間十字路〜鎌倉に向かいます。
ここからはおおよそ古代の東海道と推定されますが三浦半島を横断する形で葉山から三崎へ向かい東浦賀の大津陣屋で保土ケ谷からの道と合流するおよそ江戸から20里の道程でした。鎌倉前後の切り通しや半島中央部の三浦丘陵を越える道となりますが、三浦半島の山道を避けるルートとして浦賀奉行も江戸への往来に利用したようです。
一方、保土ケ谷宿からは金沢道から横須賀の山地を抜ける山道と、観光を兼ねた船のルートもあったようです、現在では国道16号の開通などからその役目を失っていきました。
|
人生100年時代の消費者トラブル対策 参加無料先着400名 申し込み不要 当日直接会場(港南公会堂)へお越しください https://www.yokohama-consumer.or.jp/study/lecture/detail2207.html |
|
<PR>