第105話 戸塚区・泉区の誕生 とつか歴史探訪
東海道の宿場町として栄えた戸塚。明治4(1871)年、廃藩置県により神奈川県になると鎌倉郡に編入。明治20(1887)年には東海道線の延伸に伴い戸塚駅が開業され、駅を中心に次第に発展していきます。
柏尾川の流域には工場群が生まれ発達する中、昭和14(1939)年、鎌倉郡内の1町7村は横浜市に加わることを選択します。"戸塚区"の誕生です。この時の"戸塚区"は、今の戸塚区・瀬谷区・栄区・泉区の4区を含んだ大きないわゆる"戸塚鄕"で、市内で最大の面積と人口を有する区として誕生しました。
その後、行政再編成により昭和44(1869)年に瀬谷区が分区、昭和61(1986)年に泉区・栄区がそれぞれ分区され、現在の4区の形となりました。
分区後の戸塚は、昭和62(1987)年に地下鉄戸塚駅が開業、更に平成11(1999)年には湘南台までが接続され泉区とも繋がります。平成27(2015)年には念願のアンダーパスが開通し、開かずの踏切の解消となり現在に至っています。
"泉区"は分区に際し、泉が湧き出るように若い活力を産み出しながら発展するようにとの願いを込めて、公募により名付けられました。
相模鉄道いずみ野線・横浜地下鉄・環状4号線・長後街道の整備、現在はゆめが丘駅周辺の開発と急速に発展を遂げています。その一方で、水と緑と歴史も大切に育まれてきました。
歴史的にも多くの関わりを持ちながら生まれた「戸塚区・泉区」。今後も共に豊かな街として発展することが望まれます。
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