戸塚区原宿在住の川邊重男さんの自宅。紹介してくれた戦時下の日本の遺物の数々は1926(大正15)年に生まれ、80歳で亡くなった父・利男さんのものだ。利男さんが戦地に向かう前、親戚や知人から贈られ、大事に保存されてきた。「物怖じしない性格で、周囲の人から愛されていたようです」
ただ無事を願う
そのうちの一つは「武運長久」を祈った旗。大きな日の丸に多くの人の名前が刻まれ、利男さんの生まれ年にちなんだ寅の絵が描かれている。
重男さんは「父はもともと、今の大正小学校で教師をしていたのかもしれない」と話す。旗には学校長を始め、利男さんの父の銀蔵さんや妹の登喜子さんなど、戦地に向かう利男さんの無事を祈った人々の名前が連なっている。
さらに出征する人に向けて作られた「千人針」も残されている。千人針とは、千人に一人一針ずつ縫ってもらい、中央に「死線(四銭)を超える」の願いを込めた五銭を縫い付けたもの。
同じ額には、利男さんが持ち帰った薬莢2つと砲撃で吹き飛んだ物の断片が保管されている。
思い起こすきっかけに
利男さん直筆の記録によると、1945(昭和20)年6月28日に甲府第49連隊に入営。戦争に備え各地で待機する日々が続いたが、ついに直接戦地に足を運ぶことはなく、鳥取県米子市の小学校で終戦を迎えた。
「帰ってきてからは子どもたちに地域のことを教えたり、小学校のグラウンドをさつまいも畑にしたりしたと聞いた」と重男さん。利男さんから直接戦争の話を聞く機会は少なかったが、戦中戦後をともに生き抜いた地元住民の話から、当時の父の姿を想像していたという。
重男さんは「戦争に関連した物が残っていれば、大切な家族や記憶を思い出すきっかけになるのでは」と残し、語り継ぐ意義を語った。
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