第114話 〜江戸から近代へ:その【1】通運事業への展開〜 とつか歴史探訪
時代が明治に変わり、宿場・東海道はどう近代化に進んだのでしょうか。
問屋場は宿場の中心的な機能・役割を担っていました、人馬継ぎ立て業務として人や荷物の移動の中継点として、又飛脚も利用していました。
明治2(1869)年各宿の問屋場は廃止され伝馬所(駅)となり、問屋に代わり伝馬取締役が仕切ることになりました。又、この年に本陣・脇本陣も廃止となっています。
明治4(1871)年各駅の伝馬所は廃止され、代わりに半官半民の「陸運会社」が設立され人や荷物の輸送が陸運会社に託されました。戸塚駅の陸運会社は旧戸塚宿問屋場内に置かれ、中出多兵衛(江戸期に伊勢松坂から来往した中出家の人)が肝いりとなって12月より業務を開始しました。
明治6(1873)年、後に政府の保護を受ける「内国通運会社」の前身である「陸運元会社」が創立され、陸運会社に代わり荷物の運輸を許可されます。
明治8(1875)年には、政策により各駅の陸運会社は解散され、かつての宿場問屋の後身としての陸運会社は消滅し「内国通運会社」に統合されました。
その後鉄道貨物輸送業や汽船運航業にも進出し明治26(1893)年に商法改正で株式会社となります。昭和3(1928)年に紆余曲折を経て、問屋場の役割としての通運事業は国際通運株式会社(現:日本通運株式会社)に統合されていきました。
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